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石浜城(東京都荒川区) [古城めぐり(東京)]

DSC04351.JPG←石浜神社遠望
 石浜城は、武蔵千葉氏の築いた城である。室町時代中期、享徳の乱が勃発して古河公方足利成氏と関東管領山内上杉氏が関東を二分して抗争を始めた頃、下総の名族千葉氏も一族中で争いが起き、1456年惣領家の千葉実胤・自胤兄弟は庶流の馬加康胤に攻められ、扇谷上杉氏の家宰太田道灌を頼って武蔵に落ち延びた。そして、兄の実胤は石浜城に、弟の自胤は赤塚城に入って、武蔵千葉氏となった。後に小田原北条氏の勢力が武蔵を圧すると、武蔵千葉氏も北条氏に降った。1590年の小田原の役で北条氏が滅亡すると、城主千葉胤村(北条氏繁三男)を最後に石浜城も廃城となった。

 しかし石浜城にはもう一つの歴史がある。南北朝期の観応の擾乱の際、足利家の分裂を好機と見た北畠親房の指令により、新田義宗は宗良親王を奉じて鎌倉の奪還を目指して挙兵した(1352年)。この時、将軍足利尊氏は、弟直義一党を降す為に軍を率いて鎌倉に下向しており、直義の死後(尊氏による毒殺とも言われる)まもなく、武蔵野一帯において尊氏方と新田方との間で武蔵野合戦と呼ばれる戦闘が繰り広げられた。武蔵野合戦では尊氏は散々に負けて、自刃を覚悟するほどであったと言われているが、再起を期して石浜の地まで逃れて、ここで軍勢を立て直したという。この後反撃に出た尊氏は、一旦は奪われた鎌倉をも奪還し、関東の南朝勢力を再び逼塞させた。この、尊氏が逃れた石浜の地が、石浜城であろうと言われている。(別説では石浜渡津のあった福生市牛浜とも言われている。)

 石浜城は、現在の石浜神社の地だと推定されている。隅田川西岸にあり、周囲は東京ガスのガス基地として変貌している。元はそちらにあった神社を、ガス基地造成の際に現在地に移築したようである。石浜城の場所には別説もあるが、いずれにしても現在は都市化によって遺構は壊滅状態で、城跡らしい痕跡は全く残っていない。石浜城は、一般の歴史好きの人には千葉氏の城として認識されていると思うが、南北朝好きの私にとっては、なんと言っても尊氏再起の地として印象付けられている。この地から再び尊氏が奮起して室町幕府の基礎を固めたと思うと、胸の中が熱くなった。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.729757/139.808342/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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ねじまき鳥

石浜城は以前に行ったことがありますが、足利尊氏の関連とは知りませんでした。
by ねじまき鳥 (2010-12-02 21:04) 

アテンザ23Z

>ねじまき鳥さん
尊氏が逃れた石浜の地には、いくつかの説がありますが、
石浜城の地が最も有力なようです。
by アテンザ23Z (2010-12-02 21:25) 

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