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多和目城(埼玉県坂戸市) [古城めぐり(埼玉)]

DSC00803.JPG←主郭の土塁
 多和目城は、高麗川北岸の城山に築かれた山城である。その歴史も築城者も一切不明で、「北条氏所領役帳」に「田和目葛貫116貫36文ェ門佐殿」とあることから、日本城郭大系では小田原北条氏の持ち城だったのではないかと推測している。また民家に伝わる記録には、「多波目大かけ(崖)城」を河越城主の扇谷上杉氏が攻めた時に、柏原の住人、半貫内膳が参戦し、高麗の新節次と合戦したと記されており、これが多和目城を指す可能性があるとのことである。一方で、多和目城の北東麓にある永源寺を創建した宿谷氏の関連も考えられるようである。
 多和目城は、比高50m程で、南側は高麗川に削られた急崖となっているもののそれ以外の三方はなだらかな傾斜となった丘陵の上に築かれている。山上には広く平坦な2つの曲輪があり、主郭とされる曲輪の周囲には小規模な土塁が取り巻いている。南側には土塁が枡形状に折れた虎口があり、北東側の土塁にも横矢の折れと腰曲輪があるようであるが、訪城した時はすでに夕闇が迫っており、北東の横矢の折れは確認することができなかった。また主郭の西半分は配水場が作られていて、遺構は破壊を受けている。いずれにしても簡素な造りの城で、それほど防備が強かったとは思えない。臨時の城程度だったのかもしれない。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.924592/139.332079/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世山城
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