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湯坂城(神奈川県箱根町) [古城めぐり(神奈川)]

DSC06304.JPG←ニノ郭西側の堀切と土塁
 湯坂城は、小田原北条氏勃興以前に箱根山一円を勢力下に置いていた大森氏が築いた城である。北条氏が相模を支配して小田原城を本拠としてからは北条氏の支城となった。箱根を通る古道の一つ、湯坂道を押さえる山城で、古道を城域に取り込んでおり、碓氷道(四ツ尾越え)を押さえる塔ノ峰城と共に、小田原城後背を押さえる要地として重視されたと思われる。1590年の小田原の役の際に、豊臣勢に攻められて廃城になったのだろう。

 湯坂城は、箱根湯本の西方に西から張り出した山地の先端に築かれており、南北を早川と須雲川で挟まれた比高160m程の山の上にある。現在でも湯坂路がハイキングコースとして整備されており、函嶺洞門付近の登り口から登って、15分程で城域に到達することができる。西から順に主郭・ニノ郭・三ノ郭が直線上に配置され、曲輪間を掘切で分断した縄張りである。三ノ郭は、平坦で数段に分かれた広い曲輪であるが、薮が多くその形状をはっきり捉えることができない。しかし複雑に土塁などを設けているらしいことがおぼろげに分かる。ニノ郭は南側半分を土塁で囲んでおり、東西の虎口に面して櫓台の様なやや広い形状となっている。主郭も南側が土塁で囲まれている。西側の搦手虎口の外には堀切に土橋が架かり、この虎口に対して土塁を張り出させている。この城では、古道に対して土塁を横から張り出させて動線を意図的に屈曲させている様である。堀切は、形は明瞭であるがかなり埋れているのか浅く、特に主郭と二ノ郭間の堀切はかなり浅い。また三ノ郭の東斜面には、よく見ると2段の帯曲輪や馬蹄段が備わり、周辺に石が散乱しているところを見ると、石積みがあった可能性がある。湯坂城は、古道を守る城の形態をよく残しており、貴重である。
主郭搦手の堀切と土橋→DSC06313.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.230915/139.094714/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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