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石橋山古戦場(神奈川県小田原市) [その他の史跡巡り]

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 石橋山古戦場は、源頼朝挙兵の地である。平治の乱で父源義朝が敗死し、平清盛によって伊豆蛭ヶ小島に流されていた頼朝は、現地豪族の北条時政の娘政子と恋仲となり、婚姻によって北条氏ら周辺豪族を味方につけた。そして1180年、平家の専横を憎む以仁王の令旨を受けて、平家打倒の兵を挙げた。この時、相模の名族三浦党の岡崎四郎義実やその子佐奈田与一義忠も駆けつけ、伊豆の目代山木兼隆を血祭りに上げるが、手勢わずか300であり、頼朝鎮圧に攻め寄せた大庭景親ら3000の平家軍と石橋山で戦い、大敗した。敗走した頼朝は山中に逃げ込み、梶原景時に見逃されて辛うじて船で安房へ落ち延び、安房で再挙を図った。この後は、上総介や千葉氏、畠山重忠など関東諸豪が次々と頼朝の元に参陣し、瞬く間に大軍に膨れ上がった源氏軍は平家方を破って、鎌倉を本拠とした。

 石橋山古戦場は、海縁まで山地が迫った狭隘な地にあった。国道135号線から脇道に入り、坂道を登って東海道本線の上を越えた所に石碑が立っている。また付近には関連史跡が残り、佐奈田与一を祀った佐奈田霊社があり、その境内に与一が討死した跡に作られた与一塚が残る。またその南側の果樹畑は「ねじり畑」と呼ばれ、与一が組み討ちした場所とされ、畑の作物がすべてねじれてしまうと言われているそうだ。更にその南の文三堂は、与一と共に討死したその郎党豊三家康を祀っている。

 石橋山は、日本最初の武家政権発足の起点となった場所である。尚、古戦場に入る道は少々分かりにくく、しかも狭隘な国道は一旦通り過ぎてしまうと中々Uターンが出来ないので、車では訪れにくい場所である。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.221870/139.141084/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:古戦場
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