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沼田城(神奈川県南足柄市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC07372.JPG←主郭北側の空堀
 沼田城は、波多野氏の庶流沼田氏が築いた城である。波多野氏は秀郷流藤原氏の一族で秦野盆地に居を構えて、松田・河村・沼田などの各地に進出して勢力を伸ばした。しかし1416年の上杉禅秀の乱で沼田氏は禅秀方に付いて没落し、代わって大森氏が鎌倉公方足利持氏より所領を授かって沼田城を支配したと考えられている。大森氏は更に、永享の乱で河村氏を滅ぼして河村城を手に入れるなど相模西部に勢力を伸ばした。1495年に小田原北条氏初代伊勢宗瑞(北条早雲)が小田原城を奪取して大森氏を没落させると、沼田城も北条氏の支配下となった。その後の城の歴史は定かではない。

 沼田城は、伊豆箱根鉄道相模沼田駅西方の段丘上に築かれた平山城である。城内はみかん畑や宅地となっているが、遺構は比較的よく残っており、広い主郭を中心にして、周囲に横堀や多数の腰曲輪群で囲まれている。主郭は往時はクランクした空堀で東西2郭に分かれていたと考えられているが、現在では耕地化で空堀はほぼ湮滅している。ただ、南からの切通し状の坂道は、この空堀の一部であったようである。主郭南側の腰曲輪は畑などに変貌していて、どこまで往時のままなのかは判断が難しい。一方、主郭の北側には、埋もれて藪化しているものの横堀や腰曲輪が明確に残り、旧態を残している。この空堀の西端には城内通路を兼ねたと思われる竪堀があり、その竪堀を睨むように櫓台が築かれている。遺構を見る限り技巧的な部分が少ない縄張りなので、沼田城は北条氏時代にはほとんど役目を終えていたと思われる。それにしても街中近くの平山城で、これほどの遺構が残っているのは珍しく貴重である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.290976/139.126450/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世平山城
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