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南原古戦場(神奈川県山北町) [その他の史跡巡り]

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 南原古戦場は、南北朝時代の古戦場である。幕府内(北朝方)で観応の擾乱と呼ばれる内部抗争が起き、足利尊氏は対立する弟直義を追って鎌倉に下向した。直義を降したのもつかの間、この機に乗じて南朝方は各地で蜂起し、関東でも新田義宗・義興、脇屋義治らが宗良親王を奉じて鎌倉に攻め上った。金井原人見原などで行われた武蔵野合戦で尊氏は大敗し、一旦は鎌倉を放棄するものの、武蔵石浜の地で軍勢を立て直した。この後反撃に出た尊氏は鎌倉を奪還し、新田義興・脇屋義治は南朝方に付いていた河村城主河村秀国・秀経らと共に河村城に籠城した。1352~53年にかけて鎌倉府執事(後の関東管領)の畠山国清を主将とする足利勢と干戈を交えるが、1353年8月、南原の戦いで南朝方は惨敗し、秀国・秀経ら河村一族のほとんどは戦死し、義興・義治らは中川城を経て甲州から越後に逃れたと言う。

 南原古戦場は、河村城の東南東約1.6kmにあり、酒匂川北岸の比高30m程の段丘上に位置している。現在は一面の市街地となって、往時の面影は感じられない。標柱などはないが、県道74号線沿いに建つ南原古墳群の解説板に、「この場所は南北朝時代に豪族「河村氏」が滅亡した「南原の戦い」の主戦場である」と簡単に記されているのみである。時の彼方に消えて行った地方豪族の歴史が、ここにも眠っている。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.350293/139.093684/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:古戦場
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