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真田城(神奈川県平塚市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC08138.JPG←墓地北端に残る土塁
 真田城は、実田要害とも呼ばれ、石橋山の合戦で知られる佐奈田与一義忠の居城である。義忠は、相模の豪族三浦義継の4男岡崎城主岡崎四郎義実の嫡子で、1180年の源頼朝挙兵の際に馳せ参じたが、大庭景親率いる3000の大兵と石橋山で合戦し、俣野五郎と組打ちとなったが、駆けつけた俣野家臣の長尾新五・新六に討ち取られた。享年わずか25歳の若さであったと言う。室町時代には、扇谷上杉氏の家臣上田右衛門尉が城将となり、1504年に山内・扇谷両上杉氏により真田合戦の舞台となり、上杉顕定・房能の軍に攻められて真田城は落城した。その後の小田原北条氏の時代には、既に廃城となっていた様である。
 真田城は、北に張り出した舌状台地先端に築かれた城で、現在天徳寺の境内となっていて遺構の湮滅が進んでいるが、その地勢は現在でも健在である。城の北端に当たる天徳寺墓地裏には土塁が残り、隅櫓の跡であった様である。寺の手前には堀跡らしい地形も残るが、改変が進んでいてよくわからない。寺の周囲は現在も発掘調査中らしく、住宅地として開発する前に調査をしている雰囲気である。寺の周辺は、すぐ西側に新道が開通するなど現在でも市街化が進んでいるので、現在残る僅かな遺構もいずれ消えてしまうのだろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.371327/139.284571/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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