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大森氏頼居館(神奈川県平塚市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC08519.JPG←墓地背後の土壇らしい跡
 岡崎南部方形囲郭群の北東に隣接して建てられている紫雲寺は、小田原城主大森氏頼の居館であったとされている。1416年の上杉禅秀の乱で、鎌倉公方足利持氏に従って戦功のあった大森頼顕は相模西部を賜り、小田原城を居城とした。頼顕の曾孫氏頼は、若い頃に岡崎の地に居館を構え、防備を兼ねて修禅の場としたと言う。信濃守氏頼は文武を兼ね備えた名将で、晩年は家督を子の藤頼に譲り、出家して寄栖庵と号し、岩原城に隠居した。伊勢宗瑞も、氏頼存命中はその武略を憚って大森氏と事を構えることはしなかったと言う。
 大森氏頼居館は、前述の通り紫雲寺の境内となり、遺構はほとんど湮滅している。主郭思われる寺堂背後の墓地は、岡崎南部方形囲郭群の位置する台地の北端に当たり、高台とはなっているが明確な遺構は確認できない。わずかに墓地背後に土壇らしい跡が残るだけである。尚、境内入口には居館跡の石碑があるが、他の方のHPに記載されている標柱はなくなっていた。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.373480/139.311136/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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