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小松城(神奈川県相模原市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC08932.JPG←堀切
 小松城は、宝泉寺城とも呼ばれ、鎌倉時代初期に永井大膳大夫広秀(太平記に出てくる長井広秀と同名異人?)が片倉城の出城として築いたと言われている。戦国時代になると小田原北条氏の支城となり、津久井城の支城として、津久井城と片倉城の繋ぎの役目を果たし、甲斐武田氏の侵攻に備えたものと考えられる。

 小松城は、南北を小松川と穴川という小河川で挟まれ、西から張り出した尾根上に築かれた山城で、山麓の谷戸地形に築かれた宝泉寺境内を居館とし、背後の山稜を詰城としたものである。山上には堀切で分断された曲輪が明確に残っている。中心部の主郭は中央に櫓台を置き、東西を掘切で分断している。東側には更に2つの曲輪を堀切と交互に連ねている。西側にも堀切の向こうに曲輪が一つあり、その先を堀切で分断して城域が終わっている。主郭南側の尾根にも曲輪があったと見られるが、墓地造成により改変されていて、あまり明確な遺構はない。堀切はいずれも小さく深さ2m程である。

 尚、小松城の西方には「評議原」と呼ばれる平場があり、小松城の武将が評議を開いた場所とも、小田原の役の際に落城の相談した場所とも伝えられている。この他にも城の周囲には、自害谷戸・下馬等の地名が残っていると言う。小松城山麓には井戸跡もあるようだが、見つけることができなかった。比較的小さな城であるが、遺構が明確であり貴重である。
本沢梅園に残る評議原→DSC08965.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.602812/139.291116/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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