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嵐山烽火台(神奈川県相模原市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC09349.JPG←二ノ郭から見た主郭
 嵐山烽火台は、間山城峰烽火台と同じく、小田原北条氏が甲斐武田氏に備えて築いた烽火台の一つである。この相模湖周辺はかつての甲相国境であり、北条氏と武田氏が各々警衛の烽火台を幾重にも築いた、厳重警戒地域であった。
 嵐山烽火台は、相模湖東岸にそびえる標高406m、比高236mの嵐山山頂に築かれた烽火台で、間山の峰続きに当たる。北の尾根筋を登る登山道が整備されており、「産霊宮水上神社参道」と書かれた登り口の表示もあるので迷うことはないだろう。産霊宮水上神社が置かれた山頂が主郭で、その東側には一段低い平場があり、二ノ郭と考えられる。それ以外に山頂部にははっきりした遺構は見られない。しかし、北尾根筋の登山道の途中、嵐山中腹には2~3段の段曲輪が築かれている。綺麗に削平され、切岸も明確なので遺構に間違いないだろう。また一部には石が積み重なっており、石積みのあった可能性がある。小仏城山でも伏馬田城でもそうだが、北条氏は小規模な烽火台にもしっかりと普請をしていた様である。
 尚、山頂の解説板では、「嵐山は、間の山というのが本当の名で、いつの頃からか嵐山と呼ばれるようになった」とある。もしかしたら嵐山のものが間山城峰烽火台だったのだろうか?何かご存じの方がいたら、ご教示を請いたい。
中腹の段曲輪→DSC09332.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.611395/139.198827/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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