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中丸山古戦場(神奈川県横浜市瀬谷区) [その他の史跡巡り]

DSC00562.JPG←古戦場の解説板
 中丸山古戦場は、室町・戦国期の2度にわたる戦いの舞台である。
 第1回目は、上杉禅秀の乱の時のことである。1416年に関東管領上杉禅秀(氏憲)は、鎌倉公方足利持氏と対立し、広く関東諸豪を味方につけて挙兵した。これに対して知らせを受けた幕府中央は、直ちに禅秀討伐軍を繰り出した。そして1417年正月、禅秀は、江戸氏を初めとする武蔵の大軍を相手に相州世野(瀬谷)の中丸山を決戦場として、各街道から押し寄せる大軍と激戦を交えたが大敗した。禅秀は鎌倉雪ノ下に逃れて、正月10日、一族郎党と共に自刃した。
 第2回目は戦国時代初期、関東の古豪扇谷上杉氏と新興勢力小田原北条氏の合戦である。1529年、上杉朝興は着々と勢力を拡張する北条氏綱に戦いを挑んだ。これを迎え撃つ北条勢は、初陣となる氏綱の嫡男氏康を大将に中丸山一帯に戦線を広げて上杉勢を撃破敗走させた。この時氏康、若干16歳の青年武将であり、後の大器の片鱗を既に垣間見せていた。

 中丸山古戦場は、現在の瀬谷市民の森付近に当たり、森を抜けた北側の遊歩道沿いに解説板が立っている。付近は緩やかな丘陵地で、森林公園のほかは一面の畑となっている。尚、解説板の位置から西北西2.7kmの位置に深見城があり、小さい城ながらも非常に技巧的な縄張りを持っているので、もしかしたら中丸山合戦の際に後方支援拠点として両軍のいずれかが築いたものではないかと、個人的には推測している。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.482898/139.496273/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:古戦場
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