高畑城(静岡県小山町) [古城めぐり(静岡)]
←腰曲輪跡
高畑城は、竹之下屋敷の詰城と言われる城である。竹之下屋敷背後の比高60m程の丘陵上にあり、周囲を傾斜のきつい斜面で囲まれた要害の地である。足柄街道を眼下に扼する絶好な位置にあり、関跡とも考えられるそうである。竹之下屋敷の関連城郭であれば、館主の竹之下孫八左衛門が築いた城ということになるのであろう。
高畑城は、足柄学園のグラウンドの奥の山林となっているが、明確な遺構はあまりない。しかし腰曲輪らしき平場が残っており、ここでは一応遺構ということにしておく。堀切などは湮滅したのか見当たらないが、城地の西方を下る有闘坂(竹之下合戦で激闘が繰り広げられたと言われる場所)は切通し状になっており、堀切跡の様に感じられるが如何であろうか?
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.332440/138.976997/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
高畑城は、竹之下屋敷の詰城と言われる城である。竹之下屋敷背後の比高60m程の丘陵上にあり、周囲を傾斜のきつい斜面で囲まれた要害の地である。足柄街道を眼下に扼する絶好な位置にあり、関跡とも考えられるそうである。竹之下屋敷の関連城郭であれば、館主の竹之下孫八左衛門が築いた城ということになるのであろう。
高畑城は、足柄学園のグラウンドの奥の山林となっているが、明確な遺構はあまりない。しかし腰曲輪らしき平場が残っており、ここでは一応遺構ということにしておく。堀切などは湮滅したのか見当たらないが、城地の西方を下る有闘坂(竹之下合戦で激闘が繰り広げられたと言われる場所)は切通し状になっており、堀切跡の様に感じられるが如何であろうか?
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.332440/138.976997/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世崖端城
コメント 0