SSブログ

土屋豊前守屋敷(神奈川県厚木市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC00124.JPG←法界寺
 土屋豊前守は、その事績は定かではないが、小田原北条氏の重臣松田康長の家臣と推測されている武士である。名も伝わっていないほどなので、中級の武士だったと思われる。屋敷の場所ははっきりしないが、法界寺付近であったと推測されているようだ。1600年に没したと伝えられている。法界寺は、北条氏直が松田康長に命じて造立させたと伝えられており、寺の北西には康長の屋敷があったと伝えられている。
 土屋豊前守屋敷の推定地は、現在宅地や畑となっていて、全くその面影を残していない。現存遺構は望むべくもない。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.477499/139.339997/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
nice!(3)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 3

コメント 2

evergreen

山中陣屋をみてもわかりますが、江戸時代までは、荻野や中津が厚木の中心だったようです。
三増合戦のおり、氏康が進軍してきたのも、荻野だといわれていますね。
相模川の水運や、東関東を考えると金田あたりが要衝かとおもいますが、
県央あたりだと、北関東や甲州方面の方が重要だったのかと想像されます。
by evergreen (2011-12-22 13:03) 

アテンザ23Z

>evergreenさん
かつてはこの辺が厚木の中心だったのですか。
知りませんでした。
この地は、津久井を経由して甲斐や八王子方面に抜ける
中世の主要街道だったのでしょうね。
貴重な情報ありがとうございます。
by アテンザ23Z (2011-12-22 21:52) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント