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新田義貞鎌倉進撃路(神奈川県大和市) [その他の史跡巡り]

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 大和市と横浜市と町田市の境界近くにある観音寺前交差点を西にちょっと入ったところに大山阿夫利神社御分霊社がある。その前の道路脇には、「新田義貞公鎌倉進撃路」の石碑が建っている。
 解説の石碑にこうある。

「元新田氏の歴史と其の由来
南朝之忠臣元新田氏の髙下宗家は相州下鶴間村の由緒ある旧家であった。元弘三年(西暦1333年)鎌倉攻めを行った新田義貞公の流れを汲む当地の豪族であった。現在の観音寺より歴史は古く、観音寺は当家の先祖が土地を寄進し開基したと当家に伝えられている。又、寺住職墓地とされている処は当家の先祖である新田氏の墓地であり、その墓主である髙下半左衛門に登記済である。その墓地に正慶元年、建武五年、延文二年の三基の板碑があった。これは新田公が鎌倉攻めの時、戦死を遂げた武士たちの墓にあった供養碑である。建武五年、延文二年の二基については新編相模国風土記稿に見えるものである。(以下略)」

 先の御分霊社は、ここにも書かれている髙下家の敷地内にあり、道路脇に建っている進撃路の石碑や解説の石碑、義貞の上野挙兵から鎌倉までの進軍路の地図など、全て髙下家が自邸の敷地の内外に自腹で建てているらしい。新田氏の裔を誇る旧家らしい太っ腹で、敷地を惜しげもなく一般開放しており素晴らしい。どのような由来があって新田氏の一族がこの地に居を構えたのか、非常に興味を引くところであるが、ここでは石碑の解説文の一部を記載するに留めておく。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.501347/139.466017/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0

※新田義貞の鎌倉攻めの古戦場巡りはこちら
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