大森城(静岡県裾野市) [古城めぐり(静岡)]
←北西斜面の平場
大森城は、大森城山とも呼ばれ、大森氏が築いたと推測される山城である。大森氏は、関白藤原氏より出たとされ、2代惟康は甲駿両国の国司に任ぜられて、三河から駿河の大森郷に入部したと言う。3代親康は、駿河郷を領して大森郷に住し、その子親家は源頼朝に仕えて鮎沢荘を給され、大森氏を称した。大森氏は、葛山氏・竹下氏・藤曲氏などを輩出して勢力を拡大し、室町時代に入ると、鎌倉公方足利持氏に従って相模西部に勢力圏を伸ばし、小田原城に本拠を移した。大森城山の歴史は定かではないが、大森氏の大森郷在住時の詰城だったものだろう。
大森城は、箱根外輪山の西麓末端の、深良集落を見下ろす標高269.5mの丘陵上に位置していた。現在は深良中学の敷地に変貌しており、かつては土塁や空堀らしき遺構があったらしいが現在は湮滅している。校舎の建っている場所が主郭で、グラウンドが二ノ郭だったらしい。深良中から車道を挟んで北西斜面の藪の中には数段の平場があり、遺構かどうかわからないらしいが、家臣団屋敷か何かが置かれていたのかもしれない。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.203550/138.927215/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
大森城は、大森城山とも呼ばれ、大森氏が築いたと推測される山城である。大森氏は、関白藤原氏より出たとされ、2代惟康は甲駿両国の国司に任ぜられて、三河から駿河の大森郷に入部したと言う。3代親康は、駿河郷を領して大森郷に住し、その子親家は源頼朝に仕えて鮎沢荘を給され、大森氏を称した。大森氏は、葛山氏・竹下氏・藤曲氏などを輩出して勢力を拡大し、室町時代に入ると、鎌倉公方足利持氏に従って相模西部に勢力圏を伸ばし、小田原城に本拠を移した。大森城山の歴史は定かではないが、大森氏の大森郷在住時の詰城だったものだろう。
大森城は、箱根外輪山の西麓末端の、深良集落を見下ろす標高269.5mの丘陵上に位置していた。現在は深良中学の敷地に変貌しており、かつては土塁や空堀らしき遺構があったらしいが現在は湮滅している。校舎の建っている場所が主郭で、グラウンドが二ノ郭だったらしい。深良中から車道を挟んで北西斜面の藪の中には数段の平場があり、遺構かどうかわからないらしいが、家臣団屋敷か何かが置かれていたのかもしれない。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.203550/138.927215/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世山城
コメント 0