加納矢崎城(静岡県南伊豆町) [古城めぐり(静岡)]
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加納矢崎城は、小田原北条氏の重臣で伊豆衆筆頭清水氏の本貫地であり、居城である。但し、その歴史は定かではなく、築城の時期も明確ではない。また、小田原の役の際に下田城で奮戦した清水上野介康英は、降伏後は当地ではなく河津に隠棲しているので、戦国末期に存続していたかどうかも不明である。
加納矢崎城は、比高50m程の東に張り出した尾根の先端に築かれている。現在麓の民家の持ち山であり、地主様の許可を頂いて登城することになる。小さな城であるが、遺構は明瞭で、斜面を登って行くとニノ郭前面に横堀と土橋があり、その上の主郭には背後に土塁が築かれている。その裏には2条の堀切があるはずであるが、危ないからと見学のご許可が頂けなかった。この他では、北側に竪堀1本、南側には堀切と段曲輪が確認できた。小さな城なので、普通に考えれば麓に居館を置いた有事の際の詰城と考えられるが、地主のご老人のお話では麓に居館はなかったらしい。今回、わざわざ地主の方に案内して頂け、大変感謝しております。この場を借りて御礼申し上げます。
尚、当城に関しては、地主様のご希望で遺構の写真は掲載致しませんので、あしからず。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.650217/138.855118/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
加納矢崎城は、小田原北条氏の重臣で伊豆衆筆頭清水氏の本貫地であり、居城である。但し、その歴史は定かではなく、築城の時期も明確ではない。また、小田原の役の際に下田城で奮戦した清水上野介康英は、降伏後は当地ではなく河津に隠棲しているので、戦国末期に存続していたかどうかも不明である。
加納矢崎城は、比高50m程の東に張り出した尾根の先端に築かれている。現在麓の民家の持ち山であり、地主様の許可を頂いて登城することになる。小さな城であるが、遺構は明瞭で、斜面を登って行くとニノ郭前面に横堀と土橋があり、その上の主郭には背後に土塁が築かれている。その裏には2条の堀切があるはずであるが、危ないからと見学のご許可が頂けなかった。この他では、北側に竪堀1本、南側には堀切と段曲輪が確認できた。小さな城なので、普通に考えれば麓に居館を置いた有事の際の詰城と考えられるが、地主のご老人のお話では麓に居館はなかったらしい。今回、わざわざ地主の方に案内して頂け、大変感謝しております。この場を借りて御礼申し上げます。
尚、当城に関しては、地主様のご希望で遺構の写真は掲載致しませんので、あしからず。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.650217/138.855118/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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