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高谷城(静岡県伊豆市) [古城めぐり(静岡)]

DSC09332.JPG←主郭群~ニノ郭群間の堀切
 高谷城は、小田原北条氏の重臣富永氏の居城である。その創築は明確ではなく、南北朝時代に富永備前守が築城したとも言われているが定かではない。しかし応仁の乱の頃にはこの地を領して勢力を張っていた豪族であったと思われる。1493年に小田原北条氏の始祖伊勢宗瑞(北条早雲)が伊豆に侵攻すると、富永三郎左衛門尉政直は早い段階で宗瑞に臣従し、以後北条氏の家臣となり、海賊衆の大将の一人として西伊豆沿岸警備の重責を担った。また重臣として、1524年には江戸城の城代を務めた。その子政辰も江戸城代を務め、北条家五家老に列せられて北条家中に重きを成したが、1564年の第二次国府台合戦で討死した。その子山城守政家も活躍し、政辰と同じく北条家五家老に列せられて、関東各地にも所領を持ち、西伊豆の本領と合わせて2万石余を領する大身であった。また、出城として丸山城を築き、一族の富永山随を城主とした。1590年の小田原の役では、政家は韮山城に入って戦ったが、北条氏滅亡に伴って隠棲した。その後、嫡子直則は、徳川家康に仕えて関ヶ原の合戦に従軍するなどして功を挙げ、徳川家旗本となって家名を残したと言う。尚、高谷城の小田原の役の際の動向は不明で、合戦の記録もないので兵力分散を避けるため放棄されたのかも知れない。

 高谷城は、土肥町の北にそびえ、東から海べりに突き出した山上に築かれている。海抜81mの最上部に主郭を置き、南西の尾根のやや離れた所にニノ郭を、更にそこから南にやや離れて出丸状の三ノ郭を置いている。さすが北条氏重臣の城だけあって、その城域は広大である。これらの曲輪はそれぞれに何段もの腰曲輪群を伴い、主郭群・ニノ郭群・三ノ郭群で構成された独立性の高い縄張りとなっている。丁度、出羽左沢楯山城の様な感じで、広い城域に複数の曲輪群を分散配置した、一城別郭の構成となっている。ただ遺構としては、主郭群とニノ郭群を分断する堀切は見事であるが、その他は段郭群のみで構成されただけの構造で、ややもの足りない印象を受ける。おまけに三ノ郭が畑になっている以外は城全体が薮で、全く整備されていない。三ノ郭群の北側にも堀切が穿たれているが、薮でほとんどその形状が確認できない。主郭東には堀状通路があるが、これは南麓の諏訪神社付近まで伸びている登城道らしい。この他、主郭群の北西尾根にも遺構がある様だが、一部が道路建設中で破壊されているせいもあって、位置関係がわからなくなってしまった。もう一度、nav-uのアウトドアモードを使って位置を確認しながら探索してみたい。
主郭群の櫓台と腰曲輪→DSC09363.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.917382/138.788722/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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らんまる

SONYのnav-Uですが、小生も興味深々で買おうと思ってました。でも、先日ケー?電機でデモ機を操作したら200mなんですよね。信州の山城では最低でも100mじゃないと使い物にならないので諦めました(笑)
デジカメもGPS搭載が流行りなんですが、有名観光地以外の収録はまだまだ先になりそうだし都度お金払ってデータ買うのも馬鹿らしい。
当面は国土地理院の地図を拡大コピーしてコンパスと睨めっこするオーソドックスな手法から解放されそうにありませんネ・・・(汗)
by らんまる (2012-06-10 22:05) 

アテンザ23Z

>らんまるさん
私は、U76VTに地図データアップグレードで使っています。
U76VTにはデフォルトではアウトドアモードがないので、
最初は諦めていましたが、
ルート案内の都合上、北関東道全線開通後の地図が必須で、
地図更新データを購入しようと調べたら、
なんとアウトドアモード機能が追加になることがわかり、
現在これを活用しています。

でもやはり200mスケールなので、
画面だけだと詳細はわかりにくいですが、
山中(藪中?)での位置確認には本当に重宝します。
電子国土からプリントした紙の地形図と、
nav-uの位置確認と、両方を睨めっこしながら山中を彷徨い歩いてます(笑)
by アテンザ23Z (2012-06-11 01:35) 

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