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小鹿野要害山城(埼玉県小鹿野町) [古城めぐり(埼玉)]

DSC03193.JPG←ニノ郭から見た主郭と堀切
 小鹿野要害山城は、歴史不詳の城である。鷹谷砦の南東約1.4kmの位置にある標高615mの要害山山頂に築かれており、おそらく鷹谷砦を後方支援する目的で、小田原北条氏が甲斐武田氏の秩父侵攻に備えて築いた城塞であろう。山の名からして城塞の存在を感じさせる。

 小鹿野要害山城に登るには、南側の加明地集落から戸蓋峠に登り、そこから尾根伝いに要害山に向かうのが最も困難が少ないと思われる。但し、このルートには2つのリスクがある。1つは、戸蓋峠に登る峠道が、うっかりすると途中で道を間違えてしまい、道が消失してしまうこと。もう1つは、尾根伝いのルートの途中が、ものすごく幅の狭い「蟻の戸渡り」となっていることである。
 1つ目の峠道であるが、北側の皆本集落から登るルートは道が消失しているとの情報であったので、私は南側のルートを選択した。この峠道は、人がほとんど通ることのない現在でもかなりはっきりと残っており、道さえ間違えなければ容易に戸蓋峠まで到達できる。しかし途中で、道が左に鋭角に折れる部分があったのだが、そのまま直進する道があったため、左の道に気付かず通り過ぎ、道が消失してしまった。その為薮の斜面を直登するハメになった。
 尾根上の峠に到達すると、そこは広い平場となっている。後世、畑として耕作された名残だそうだが、小屋掛けなどの城番兵の為の施設ぐらいはあった可能性があるだろう。そこから東に尾根伝いに登って行くと、もう1つのリスク、「蟻の戸渡り」が目の前に現れる。同様の道は、武蔵戸吹城で経験済みであるが、ここの蟻の戸渡りは戸吹城以上に細く危険である。その為、高齢者は勿論、全ての人に訪城はお勧めできない。(と言いつつ、私は登ったが…)

 肝心の小鹿野要害山城の遺構であるが、山頂の祠の祀られた主郭を中心にして、南東の尾根にニノ郭と2段の腰曲輪、北東の尾根に三ノ郭を設けただけの単純な縄張りで、いずれの曲輪も規模は極めて小さい。曲輪の配置と尾根道の状況から察すると、南東に伸びる尾根筋に大手がある様だ。曲輪間の要所には堀切が穿たれているが、いずれも極浅いもので、それと言われなければ判らないぐらいのものである。全体に鷹谷砦の方が遺構が充実しており、小鹿野要害山城が単なる物見と伝達の砦であったことを物語っているのであろう。

 尚、ついでに言うと、この城はクマ生息の危険性も大きいので(途中にこぶし大の糞があった)、これも要注意である。
狭小な主郭→DSC03190.JPG
DSC03185.JPG←リスキーな蟻の戸渡り
 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.028217/138.932108/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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