SSブログ

岩原城(長野県安曇野市) [古城めぐり(長野)]

DSC03989.JPG←主郭背後の大堀切
 岩原城は、明確な記録はないが、安曇野の豪族仁科氏の庶流堀金氏が築いたと考えられている山城である。堀金氏の戦国期以前の事績は明確ではなく、その動向が知られるのは、武田信玄が松本平に進出してからである。1551年に堀金政氏は、信濃守護小笠原長時を追って松本平を制圧した武田信玄に臣従し、以後、1552年の小岩嶽城攻め、1557年の平倉城攻めで活躍した。その功績から仁科氏被官筆頭に名を連ねるまでになったが、1581年、渋田見氏と不届けで縁組したとして追放され、没落した。その後、1582年に武田氏が滅亡すると、岩原城も廃城になったと考えられる。

 岩原城は、標高953m、比高250m程の古城山に築かれた山城である。城の主要部は、古城山から北東に伸びる尾根上にあるが、尾根の南東斜面には「構え」と呼ばれるおびただしい大手の段郭群がある。細い帯曲輪郡で、その数は10数段に及ぶ。最下段は、安楽寺跡や大同寺古薬師堂跡とされており、根古屋的性格の半城塞化された寺域であった様である。この大手郭群の斜面を直登して行くと、主城域下方の二重堀切から落ちる竪堀付近に到達する。二重堀切の手前には、石積みのある櫓台らしい土壇がある。その上には大きな高低差の段曲輪群が構えられ、その高低差は50m以上もある。段曲輪群の途中には土橋の架かった小堀切もあり、これらを越えて登って行くとニノ郭・主郭に至る。ニノ郭と主郭は、いずれも比較的小さな曲輪で、それほどの兵を籠められる大きさではない。主郭は腰曲輪を伴い、北側斜面下方にも小さな帯曲輪があるが、この帯曲輪からは竪堀が3本落ちており、駿河葛山城等と同様、武田流築城術の特徴を示している。主郭背後には、大きな規模の三重堀切があり、特に1本目は深さ10m以上の巨大なもので圧巻である。この先の尾根には合計2本の堀切があって城域が終わっている。岩原城は、一つ一つの曲輪は小さいものの、尾根筋を巧みに城砦化したなかなか豪壮な山城である。
「構え」と呼ばれる大手段郭群→DSC03903.JPG
DSC03993.JPG←竪堀の落ちる帯曲輪

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.309393/137.831072/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
nice!(5)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 5

コメント 2

らんまる

ご無沙汰してしまいました・・・(汗)

昨日、念願叶って中塔城を攻めてきました。ハンパ無き無謀な山城でした。まあ、確かに半年くらいは籠城出来るでしょうが長時さんが飽きたのも無理無い場所です(笑)

安曇野、大町方面は秋口から本格的な攻城戦を行う予定です。
貴殿の記事も参考にさせていただきますネ。
宜しくお願いします。
by らんまる (2012-09-09 11:09) 

アテンザ23Z

>らんまるさん
こちらこそ、ご無沙汰しています。
貴サイトは常々拝見してはいるのですが、
自分のブログアップで手一杯で、コメできなくて・・・(^^;

今回の長野シリーズは3月中旬の訪城だったのですが、
今年の春は残雪多く、中塔城は登城断念しました。
この暑さの中、あの比高はかなり辛い攻城戦ですね。
それでもやってしまうところがさすがですね!
by アテンザ23Z (2012-09-10 18:21) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント