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一戸城(岩手県一戸町) [古城めぐり(岩手)]

DSC06956.JPG←北館の腰曲輪と虎口
 一戸城は、奥州の名族南部氏の庶流一戸氏の居城である。一戸南部氏は、鎌倉時代初期に糠部郡に入部した聖寿寺館主南部光行の庶長子行朝を祖とし、その子摂津守義実が一戸に進出して一戸城を築いたと言われている。一戸氏の事績は明確ではないが、広く諸族を輩出した豪族だったらしい。しかし1581年、一戸兵部大輔政連父子は、南部宗家に叛意を持った九戸城主九戸政実に唆された弟の平館信濃守に刺殺され、一戸本家は断絶した。その後、南部氏と九戸氏の争いの中で一戸城の攻防戦が行われ、九戸政実の乱鎮定後、一戸城は破却された。

 一戸城は、馬淵川東岸に東から張り出した半島状の段丘に築かれた城である。天然の沢を挟んで南北に連なった3つの台地上に築かれた、北館・八幡館・神明館の3つから構成され、更に外郭として小型の常念館があった様である。北館は、先端に小さな公園とその背後に水道施設が置かれて破壊を受けている。南に腰曲輪があって神社が建てられており、虎口状の遺構が存在している。天然の堀を挟んで南にある八幡館は、背後を堀切で分断しており、現在は堀底を車道が通っている。八幡館内部は民家の敷地となっていて入ることができない。更に南の明神館は、現在畑となっており、3段の平場に分かれている。発掘調査の結果では、この明神館が主郭であったらしい。中世の古い形態を残した城で、九戸城外郭の様な、独立した台地上の郭群から構成された、群郭的な縄張りの城だった様である。地勢は残っているが、改変が多く、余りパッとしない城という印象である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/40.216119/141.305369/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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