小俣氏館(栃木県足利市) [古城めぐり(栃木)]
←居館推測地付近の現況
小俣氏館は、清和源氏の名門足利氏の庶流で小俣城主であった小俣氏の居館である。小俣氏は、足利泰氏の子賢宝を祖とし、代々鶏足寺の別当職を相伝したと言う。南北朝時代には、小俣義弘が足利一門として活躍したが、その後没落したらしい。その後は渋川氏が小俣に入部して小俣渋川氏となり、戦国時代には詰城の小俣城に籠り、上杉謙信の軍勢を撃退したこともあったと言う。その為、小俣氏館は渋川氏館とも呼ばれ、一説には渋川義昌の築館とも言われる。
小俣氏館は、鶏足寺の南方にあったというが、遺構は湮滅しているらしく、その正確な位置すら現状では明確ではない。しかし、県道218号線の東側の竹藪の中に堀跡らしいものがあり、周囲より一段高い微高地になっていることから、そこが居館跡ではなかったかと個人的に推測した。但し、一部は宅地や畑になっていることから、後世の改変の可能性もある。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.389005/139.378470/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
(場所は推測)
小俣氏館は、清和源氏の名門足利氏の庶流で小俣城主であった小俣氏の居館である。小俣氏は、足利泰氏の子賢宝を祖とし、代々鶏足寺の別当職を相伝したと言う。南北朝時代には、小俣義弘が足利一門として活躍したが、その後没落したらしい。その後は渋川氏が小俣に入部して小俣渋川氏となり、戦国時代には詰城の小俣城に籠り、上杉謙信の軍勢を撃退したこともあったと言う。その為、小俣氏館は渋川氏館とも呼ばれ、一説には渋川義昌の築館とも言われる。
小俣氏館は、鶏足寺の南方にあったというが、遺構は湮滅しているらしく、その正確な位置すら現状では明確ではない。しかし、県道218号線の東側の竹藪の中に堀跡らしいものがあり、周囲より一段高い微高地になっていることから、そこが居館跡ではなかったかと個人的に推測した。但し、一部は宅地や畑になっていることから、後世の改変の可能性もある。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.389005/139.378470/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
(場所は推測)
タグ:居館
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