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鳥越楯(山形県新庄市) [古城めぐり(山形)]

DSC06862.JPG←畝状竪堀
 鳥越楯は、鳥越八幡神社の背後の山に築かれた山城である。楯主鳥越氏は、東根城主小田島氏の一族と言われ、南北朝時代に南朝方であった小田島氏は、山形に入部した足利一門斯波氏の一族斯波兼頼に追われて、この地に移ったと言われている。室町時代後期になって、山形城主最上氏の一族清水大蔵大夫満久が1476年に清水城を築いて入部した際に、この地を治めていた鳥越氏は鳥越・柏木山・梨ノ木の集落を領有する条件で清水氏に従ったと言われている。以後、鳥越氏は清水氏の重臣となり、清水氏が最上氏に降った後は最上氏に従った。

 鳥越楯は、現在八幡公園となっている山一帯に築かれた、広大な城域を有した山城で、高さ10m程の急峻な切岸に防御された広い主郭を中心に、周囲に腰曲輪群を幾重にも取り巻いた構造となっている。その多くは未整備で、シダが繁茂しており歩くのに苦労するが、遺構は完存しており、かつての威容を知ることができる。主郭背後には、三重堀切があるが、どちらかと言うと二重堀切に更に腰曲輪の土塁が付随した感じで、二重堀切と言う方が正確かもしれない。この堀切の横には、4~5条程の畝状竪堀があるが、これは志茂の手楯太郎田楯と共通の築城思想を思わせる。また主郭の北東に伸びる尾根には小さな二重堀切が穿たれており、この堀切からは主郭西側の広い腰曲輪に直接繋がる様に城内通路があった様だ。

 鳥越楯には、4年前の夏場に一度訪れたが、夏場故にあまり遺構の探索ができなかった。最近になって縄張図を入手したところ、遺構の大半を見落としていた事がわかり、あらためて訪城した。以前は「鳥越館」としてブログにUPしていたが、急峻な切岸や畝状竪堀など山城として申し分の無い遺構が確認できたため、再訪を機に内容を全面的に更新し、表題も「鳥越楯」と改めた。
腰曲輪と急峻な主郭切岸→DSC06872.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.741114/140.319539/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0


※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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