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富沢楯(山形県大江町) [古城めぐり(山形)]

DSC09391.JPG←主郭切岸と腰曲輪
 富沢楯は、鎌倉幕府創業の功臣であった大江広元の子親広が、承久の乱に敗れ下って一時潜居した城と言われている。寒河江大江氏当初の城とされ、後に富沢太郎三郎が城主となったと推測されている。
 富沢楯は、最上川西岸の富沢集落背後の河岸段丘上に築かれた山城である。標高200m、比高50m程で、城の位置する山のすぐ脇までスキー場となって開けているため、城に登るのは容易である。しかし肝心の城域は、一面の笹薮に覆われたひどい薮城で、連れが薮で目を負傷した程である。全体にタマゴ型をした囲郭形状の城らしく、外周を土塁で囲まれた腰曲輪があり、その中心に一段高く主郭が築かれている。主郭を取り巻く腰曲輪の南側にはL字状の虎口が築かれている。また北側にも2ヶ所、単純な坂虎口が築かれている。主郭には櫓台が明確に残っている。主郭の東側下方にも腰曲輪があり、主郭を取り巻く腰曲輪からは竪堀状の虎口が南北にあって、東側腰曲輪と連絡している。この東側腰曲輪を睥睨する様に主郭櫓台が築かれており、更に東側腰曲輪の角部にも物見台が張り出しており、東側への備えを固めている。主郭には真新しい石碑が建つが、如何せん城内は全くの未整備で、城に登るのも容易なだけに惜しいところである。
東側腰曲輪に繋がる竪堀状虎口→DSC09395.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆ (薮で☆一つ減点)
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.359796/140.201887/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0


※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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