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賤機山城(静岡県静岡市葵区) [古城めぐり(静岡)]

DSC00991.JPG←籠鼻砦の大堀切
 賤機山城は、駿河の戦国大名今川氏の詰城と考えられている。本拠は、現在は駿府城に変貌してしまった「府中館」で、その北西背後を押さえる有事の際の詰城であったと考えられる。しかし城の歴史は不明確な部分が多く、南北朝初期に今川氏初代範国が駿河南朝方の拠点安倍城の狩野氏に備える為に築いたとも、また今川氏4代範忠在世中の1410~11年頃に築かれたとも言われるが確証はない。しかしいずれにしても、その後室町時代から戦国時代に至るまで、府中館の詰城として機能しただろうことは間違いないと思われる。1568年、武田信玄は甲相駿三国同盟を破棄して駿河に侵攻すると、賤機山城かその出城と考えられる「籠鼻砦」に陣を敷いて駿府の城下町を焼き払った。その後、今川氏救援のため薩埵山に布陣した北条氏に対して、3ヶ月の対陣の後、信玄は甲斐に敗走し、今川家旧臣の人々は賤機山城を修築した。しかしその後、武田氏が駿河を制圧すると、賤機山城は武田氏の支配下に入った。1582年、徳川家康が駿府に攻め入り、賤機山城も再び落城し、以後廃城となったと考えられる。

 賤機山城は、臨済寺背後の標高171m、比高161mの賤機山山頂に築かれている。山稜南端の浅間神社からハイキングコースが整備されており、容易に登ることができる。尾根に沿って北から順に三ノ郭、主郭、ニノ郭を連ねた連郭式の山城で、派生する尾根や各曲輪の先に出丸や腰曲輪を設けている。南の城域入口部にはかなり埋もれた堀切らしい地形があり、その先のニノ郭手前には深さ5m程の中規模の堀切がしっかりと穿たれて守りを固めている。ニノ郭は南の大手道側にのみ土塁が築かれており、大手からの侵入を意識した縄張りとなっている。主郭はかなり複雑な技巧的構造で、櫓台と土塁で囲まれた凹んだ方形郭を持ち、櫓台の南には一騎駆け状の土塁が一直線に伸び、その南端に前衛となる鏃状の櫓台を備えている。一騎駆け土塁の東側は倉庫か何かが置かれた様な広い曲輪になっている。この様な主郭の構造は類例がなく、かなり特徴的である。主郭北側には数mの段差の下に三ノ郭が広がり、その先は腰曲輪群と堀切があって北出丸の平場となっていて、この付近だけ畑となっている。一方、ニノ郭から西の尾根には段曲輪群があり、その先に城内最大規模の深さ8mの大堀切があって、その先は籠鼻砦と呼ばれる出砦が築かれている。この他、主郭の東尾根にも出丸があるようだが、そちらは未踏査である。以上が城の遺構で、今川氏の城郭の特徴を色濃く残す貴重な遺構である。また賤機山は朝からハイキング客が多数登る、静岡市街を一房の下に収める風光明媚な山である。
主郭の土塁で囲まれた方形郭→DSC01022.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.994915/138.374928/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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