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小瀬戸城(静岡県静岡市葵区) [古城めぐり(静岡)]

DSC00888.JPG←主郭手前の堀切
 小瀬戸城は、南北朝時代に駿河南朝方の拠点、安倍城の支城であったと言われている。安倍城主狩野介貞長は後醍醐天皇の皇子宗良親王・興良親王を迎えて、北朝方の駿河守護今川範国に頑強に抵抗した。そして、小瀬戸集落の「御所の谷」に、親王のための御所を造営したと言われている。しかし南朝方の劣勢は如何ともし難く、安倍城と共に小瀬戸城も落城し、狩野氏も今川氏に降伏したとされる。その後は今川氏の重臣朝比奈氏がこの地を領したことから、朝比奈氏の持ち城となっていたと推測されている。1569年には、武田信玄の駿河侵攻に際して早くから武田氏に従属した朝比奈孫左衛門尉がこの地を領有したことが知られている。

 小瀬戸城は、藁科川南岸にそびえる標高170mの山上に築かれた山城である。小規模な城で、遺構もささやかなものである。その上、山上は主郭の広場以外は大半が茶畑に変貌している上、近年新東名の建設によって、北尾根が途中まで削られてしまい、遺構がかなり湮滅してしまっている。しかし、新東名の側道から登城道(階段)が伸びており、楽に登城することができる。高速脇のコンクリート製の踊り場に、「北の出丸」という標柱が建っているが、以前は実際に平場があったのだろう。そこから北の尾根筋を登っていくと、1本目の堀切は既に湮滅しているが、2本目はしっかりと残っている。しかしかなり小規模なものである。堀切に面した小郭の上に主郭があり、城址碑が建てられている。ここからは周囲の眺望が殊の外優れている。主郭背後には、かつては二重堀切があったようだが、茶畑に変貌して湮滅してしまっている。ほぼ単郭の、物見に近い役割の城砦だった様だ。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.982964/138.297690/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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