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吉美城(静岡県湖西市) [古城めぐり(静岡)]

DSC05252.JPG←馬出し状の平場
 吉美城は、境目城とも呼ばれ、1567年に今川氏が新たに築いた城である。1560年の桶狭間の合戦で今川義元が討死し、その後松平元康(徳川家康)が離反するなど弱体化した今川氏が、三河・遠江国境の情勢が緊迫する中で、宇津山城の前衛とする為、妙立寺を接収して城郭として取り立てたのが吉美城である。この頃、今川氏は既に三河を失陥しており、吉美城は家康の遠州進出を阻止する為の前衛基地であった。しかし翌68年、遠江に侵攻した徳川氏の部将酒井忠次によって攻略され、逆に宇津山城攻略の為の付城となった。また宇津山城攻略の際、家康は妙立寺に本陣を置いたと言う。

 吉美城は、日本城郭大系などによれば、東海道本線の施設の際に、土砂が削り取られしまい、既に遺構は明確ではないとされている。その為、城の位置も明確ではないが、東海道本線と妙立寺の間に小丘があり、そこが城域の一部ではないかと推測される。この小丘には登り口があり、そこを登って行くと山頂部には平場があり、平場の西辺部には土塁状の土盛りが見られる。また、この平場の東側には前述の登道が堀切状になっており、土塁で囲まれた馬出し状の小郭の様なものや、小さな社殿の鎮座する平場もある。確証がないのでなんとも言えないが、この小丘がかつての城域の一部であった可能性は十分あると思う。
 尚、近くの妙立寺境内には、本陣を構えた家康が旗を建てたという旗立松の碑が建っている。
堀切状の道→DSC05254.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.720275/137.526137/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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八丁堀

アテンザさん、ご無沙汰しています。「土の古城探訪」の八丁堀です。

毎日異常な暑さですが、ご健勝の事と思います。静岡古城研究会のホームページでご存知の事と思いますが、昨年12月12日に静岡県田方郡函南町畑毛の大仙山へ単独で探索へ行き、山頂部と尾根筋に山城遺構を発見してホームページに掲載していましたところ、今年の5月に静岡古城研究会の方から連絡があり、更に尾根続きに堀切を見付けたとの事でした。
6月5日に二人で訪城し、更に主郭下に二段の段郭と北側尾根続きの下方に北砦を発見し、また、近くには代々庄屋を務められ、横矢を備えた屈曲する道と練兵場や坂虎口の長屋門が残るお宅も見付けるに至りました。
大仙山城に付きましては、「増訂豆州志稿」に載っているようです。
アテンザさん、もし気が向きましたら大仙山城を訪城して見て下さい。
お城の内容や訪城に際しての道に付いては、静古研と私のページをご参照下さいませ。注意点が一つ御座います。庄屋さん宅の場所は明かせませんが、もしお分かりになられても中に入られたり、ネットでの掲載はしないで下さいとの事です。

それでは、八丁堀より。


by 八丁堀 (2013-08-11 11:17) 

アテンザ23Z

>八丁堀さん
こちらこそご無沙汰しております。
本当に毎日死にそうな暑さですね。
日本国中、沸騰しているような気候ですね。

大仙山城の件、ありがとうございます。
静古研と八丁堀さんのHPで、既に拝見しておりました。
やっぱりあそこに城があったのかと、感嘆しております。
これまではあまり明確な遺構がないとされていましたので、
時間的な制約もあって登るのは諦めていましたが、
いずれ静岡方面に再遠征する際にはぜひ行ってみたいと思います。

それにしても八丁堀さんの慧眼と努力には感服致します。
これからも貴重な情報の発信を楽しみにしています。
by アテンザ23Z (2013-08-11 21:38) 

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