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志津城(静岡県浜松市西区) [古城めぐり(静岡)]

DSC05237.JPG←丘陵上の平場
 志津城は、今川氏と斯波氏が激しい争奪を行ったと考えられる浜名湖畔の城の一つである。伝承によれば、その創築は古く平安時代にまで遡るとされ、993年に巡見使として遠江に下向した藤原共資が、遠江国司として城を築いたとされる。その子共保は、井伊谷に移って井伊氏の祖となり、城は一旦廃されたと言う。時代は下って戦国時代初期、駿河の今川氏親は、参謀でもあった伯父伊勢宗瑞(北条早雲)に命じて遠江に頻りに侵攻し、1501年頃より斯波義達の軍勢と激しい衝突が繰り返された。志津城を始めとする浜名湖畔の城をめぐっての今川氏と斯波氏の抗争は激烈であったとされ、史料的な裏付けはないが、志津城でも争奪戦が繰り広げられたと考えられている。浜名湖畔での抗争は1513年に斯波氏が敗北するまで続き、その後は今川氏の支配下となったと考えられる。

 志津城は、浜名湖に突き出した庄内半島の東岸に近い、「浜名湖国際頭脳センター」西側の比高30m程の小丘にある。日本城郭大系などによれば、城のあった城山は埋立用土砂の採取地となり、城跡一帯は切り崩されてしまったとされるが、前述の小丘は一応残っている。これが往時の城域のどの部分に相当するのか、またどれだけの改変を受けているのかも定かではないが、藪に埋もれかけた小丘の上には小さな社殿が建ち、その周りは曲輪状の広い平坦地となっている。またその東側下方には、腰曲輪らしき平場も確認できる。どこまでが遺構かははっきりしないが、わずかに城跡らしさは留めている様だ。なお、この小丘からやや南に離れた道路沿いには、「志津古城址」と刻まれた石碑が建っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.728076/137.604175/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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