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高根城(静岡県浜松市天竜区) [古城めぐり(静岡)]

DSC06932.JPG←三ノ郭の二重堀切
 高根城は、久頭郷城とも呼ばれ、国人領主奥山氏の居城である。奥山氏は、水巻城・若子城・小川城等の支城に一族を配し、一帯を支配していたとされるが、確かなことはわかっていない。戦国時代に入る頃には、奥山氏は遠江に勢力を拡張した今川氏の支配下に入ったが、永禄年間(1558~69年)に武田信玄が遠江に侵攻すると、間もなくその勢力下に組み入れられ、1572年には武田軍が在番可能な城となっていたことが、信玄の書状から判明している。この武田氏支配時代に高根城は大きく改修され、現在残る形となったと考えられている。しかし長篠合戦で大敗し、坂道を転げ落ちるように転落への道を歩みだした武田氏の勢力が、1576年に遠江から一掃されると、高根城は廃城となったと推測されている。

 高根城は、水窪川東岸にそびえ立つ標高410m、比高170mの山上に築かれた山城である。発掘調査の結果に基づいて復元整備が実施され、時代考証に基づいて櫓、掘立建物、城門、土塀、柵列等が復元されて、戦国山城の姿を現代に蘇らせている。比較的小規模な連郭式の城で、主郭・二ノ郭・三ノ郭から構成され、各々の曲輪は堀切で分断し、主郭とニノ郭の間には、馬出し状の枡形門が築かれている。この門の脇には、県内で唯一確認されたとされる武田氏時代の石垣が残っている。三ノ郭の先は二重堀切で分断されているが、内側の堀切は円弧状となり、更に横堀と接続したやや複雑な形状をしている。この他、主郭周囲などに数段の腰曲輪が築かれている。山上に、これ程見事に中世城郭の姿を復元した例は珍しく、一度は行くべき城の一つである。
武田氏時代の石垣→DSC06947.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.149885/137.867251/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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