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秋葉山楯(山形県朝日町) [古城めぐり(山形)]

DSC11999.JPG←三重横堀
 秋葉山楯は、真木山城の出城である。猿田楯と共に本城である真木山城の東方を防衛していた。真木山城主大谷彦次郎元秀は、血縁関係にあった寒河江大江氏が1584年に最上義光に攻め滅ぼされた時、最上氏に降らず、元秀は平塩池之坊に亡命し、家臣達は帰農したと言う。秋葉山楯もこの時廃城になったと思われる。
 秋葉山楯は、以前に秋葉山館として記載していたが、遠目に見ただけで素通りしていたので、三重横堀があると知って機会を改めて訪城した。城の築かれた標高225mの秋葉山の西麓に野球場を備えた公園があり、そこから登山道が整備されている。小土豪の支城らしく比較的小規模な山城で、山頂の小さな主郭の西に腰曲輪群、東尾根に段曲輪群を築いた、比較的単純な縄張りの城である。主郭にはほとんど居住性はなく、あくまで物見台や烽火台として機能していたのだろう。東の段曲輪群の先には大堀切が穿たれ、深く急峻である。一方、西の腰曲輪群の先には三重横堀が築かれている。この横堀は、単純に3つの横堀が並んだだけでなく、途中で縦方向の堀で繋がったりするなど、やや複雑な形状をしていた様である。その西側にも土塁を備えた腰曲輪が広がり、その下方の斜面にも明瞭ではないものの曲輪群が築かれている様だ。
腰曲輪と主郭→DSC12042.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.342577/140.179775/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世山城
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