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萩袋城(山形県大江町) [古城めぐり(山形)]

DSC02062.JPG←萩袋城のあった台地の遠望
 萩袋城は、南北朝時代に北朝方の斯波兼頼と激突して敗れた南朝方の寒河江氏一族の終焉の地である。出羽に入部した兼頼(最上氏の祖)が着々と出羽に勢力を扶植して、寒河江氏との対立が激化すると、寒河江氏一族は一層の防備強化を図り、左沢元時は楯山城の出城として次男冬政を荻袋に封じて萩袋城を築いた。これは五百川方面からの猿田越の侵入路を押える、軍事交通上の要衝と考えた為と考えられている。1568年に両軍は漆川で激突、寒河江一族は大敗し、総大将の溝延茂信、左沢元時、柴橋懐廣、同直于、小泉時于ら一族63人がこの地に逃れて、自刃して果てたと言う。
 萩袋城は、月布川(古名、漆川)曲流部南岸の台地上に築かれた城である。月布川の急崖に面した、周囲より10m程高い独立台地となっており、現在は長泉寺境内と果樹園に変貌している。遺構はほとんど湮滅しているが、急斜面で囲まれた台地上の平場となっており、その地勢は良く残っている。尚、境内には漆川合戦で果てた一族将士の供養塔が建てられている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.370429/140.181867/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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