名都借城(千葉県流山市) [古城めぐり(千葉)]
←わずかに見えた土塁
名都借城は、歴史不詳の城である。小金城主高城氏の支城前ヶ崎城の目と鼻の先にあり、何らかの関係があったと思われるが詳細は不明。1521年にはここで合戦があったとも言われる。
名都借城は、城山と呼ばれる段丘上に位置し、現在は民家(高城家)となっている。この民家の裏に土塁の一部が残っているとされる。民家の敷地内なので探索はムリだろうと諦めかけたが、敷地外の北側下方に腰曲輪状の平場があり、その薮が切り払われて入れるようになっていた。そこからは民家背後に残ると言われる土塁を、わずかに望むことができた。城と言うより居館という方が適する様な、わずかな遺構の様である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.845729/139.935976/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
名都借城は、歴史不詳の城である。小金城主高城氏の支城前ヶ崎城の目と鼻の先にあり、何らかの関係があったと思われるが詳細は不明。1521年にはここで合戦があったとも言われる。
名都借城は、城山と呼ばれる段丘上に位置し、現在は民家(高城家)となっている。この民家の裏に土塁の一部が残っているとされる。民家の敷地内なので探索はムリだろうと諦めかけたが、敷地外の北側下方に腰曲輪状の平場があり、その薮が切り払われて入れるようになっていた。そこからは民家背後に残ると言われる土塁を、わずかに望むことができた。城と言うより居館という方が適する様な、わずかな遺構の様である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.845729/139.935976/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世崖端城
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