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大椎城(千葉県千葉市緑区) [古城めぐり(千葉)]

IMG_3967.JPG←横矢掛かりのニノ郭堀切
 大椎城は、千葉氏や上総氏らの房総平氏の祖、平忠常が平安時代に築いた城と言われている。しかし忠常の居城としては、大友城であったとも言われており明確ではない。いずれにしても忠常は、平将門の叔父平良文の孫で、両総に広大な所領を有する豪族であった。その後、1028年に朝廷に対して叛乱を起こし(平忠常の乱)、この時大椎城を拠点としたと言う。その後、忠常の後裔千葉介常重が千葉城を築いて本拠を移すまで、千葉氏の重要な拠点となった。千葉氏が居城を千葉城へ移した後も、その一族上総介常家の後裔が守っていたと言われる。その後の歴史は明確ではないが、位置関係からして戦国期には土気酒井氏の支城であったと考えられる。

 大椎城は、比高50m程の東西に長い丘陵上に築かれている。典型的な連郭式の城で、先端部から順に4つの曲輪を直線的に配置し、各曲輪を堀切で分断し、外周に腰曲輪を廻らしている。堀切にはいずれも横矢が掛かり、特にニノ郭では土塁や櫓台からの横矢掛かりが明確である。ニノ郭からは主郭腰曲輪に対しても横矢が掛けられており、かなり横矢掛かりを意識して作られていることがわかる。また主郭虎口は内枡形状となり、両側から横矢が掛けられ、主郭空堀のみ広幅の堀となっている。主郭の南西と北西下方には小堀切と腰曲輪が続いている。実質的な城域は三ノ郭までだったらしく、竹藪となっている四ノ郭はかなり削平が甘く、ほとんど自然地形のままである。土気城と比べると、城の規模に大きな差があるが、横矢掛かりが徹底していることから、北条氏の築城技術が導入された城だったと推測される。
ニノ郭から主郭腰曲輪への横矢→IMG_3927.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.518576/140.256220/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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