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館山城(千葉県館山市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_5264.JPG←伝・里見義康御殿跡の平場
 館山城は、安房里見氏の伯耆移封前の最後の居城である。戦国末期の1578年、岡本城主里見氏8代義頼が重臣に館山城の築城を命じたが、果たせずして病死し、その嫡子9代義康が1588年から2年の歳月を掛けて完成させた。時に宿敵小田原北条氏は豊臣秀吉に滅ぼされ、天下統一が果たされた。しかし里見氏は、秀吉から遅参を咎められて上総を没収され、安房一国に押し留められた。1591年、義康は居城を岡本城から館山城に移し、近世城郭として城下町を整備した。1614年、10代忠義は妻の祖父大久保忠隣の失脚により関係を疑われ、また城の無断修築、家臣団の数が多いことなどを理由に突如改易され、伯耆国倉吉に移封され、館山城は破却された。
 館山城は、標高72m、比高65mの独立丘陵上に築かれた平山城である。時代的には近世城郭の範疇に入るが、随所に中世里見系らしい縄張りを残す、古風な雰囲気の城である。丘陵外周に絶壁の切岸を設け、南に張り出した2本の細尾根に、物見台と段曲輪群、更に堀切を穿った構造となっている。この2本の尾根に挟まれた谷部の平場には、里見義康の御殿があったとされる。丘陵上は現在公園化され、模擬天守がそびえているが、太平洋戦争時に高射砲陣地を設けた際に10m近くも削り取られたといい、かなりの改変を受けているらしい。戦前の古写真では、もっと頂部が尖った山容だったらしい。また公園化の際にも改変を受けているので、丘陵南側以外はどこまで遺構を残しているのか、判断が難しい。尚、訪城時は天守は修理中で、周りに足場が架けられていて、景観を削いでいたのは残念だった。
南東尾根の堀切→IMG_5272.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.981390/139.855721/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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