君ヶ谷城(千葉県富津市) [古城めぐり(千葉)]
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君ヶ谷城は、歴史不詳の城である。『日本城郭大系』編纂の中での調査によって確認されたらしく、二又山と呼ばれる山上部には「要害」の地名が残っていると言う。その為、いつも拝見している余湖さんのHPでは、「二又山要害城」の呼称を採用している。
君ヶ谷城は、館山道富津竹岡ICに程近い、標高130m、比高100,程の山上に築かれた城である。城域は南北に細長く、尾根伝いに遺構が散在している。主要な遺構は、山裾の曲輪群と山上部の主郭部に大きく分かれている。山裾の曲輪群は、大きく3つの曲輪があり、最下段は畑に変貌している。その上の曲輪の先は堀切が穿たれ、その先に鞍部を削平した広い曲輪が築かれている。この曲輪は兵の駐屯が可能なレベルである。その先は細尾根となるが、屈曲した虎口や岩場を削って作った城道が残っている。山上部の主郭部は周囲を自然の斜面で断絶した独立区画で、前述の城道のある尾根との間に大堀切を穿ち、その手前に物見台を置いて防御している。山上部は段状に構築された3つの曲輪と、付随する段曲輪から成るが、比較的小規模で物見的な城であったことを伺わせる。この地域の拠点城郭である造海城から2.3km程しか離れておらず、造海城攻撃の為に築いた付城の一つだったかもしれない。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.190280/139.857459/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
君ヶ谷城は、歴史不詳の城である。『日本城郭大系』編纂の中での調査によって確認されたらしく、二又山と呼ばれる山上部には「要害」の地名が残っていると言う。その為、いつも拝見している余湖さんのHPでは、「二又山要害城」の呼称を採用している。
君ヶ谷城は、館山道富津竹岡ICに程近い、標高130m、比高100,程の山上に築かれた城である。城域は南北に細長く、尾根伝いに遺構が散在している。主要な遺構は、山裾の曲輪群と山上部の主郭部に大きく分かれている。山裾の曲輪群は、大きく3つの曲輪があり、最下段は畑に変貌している。その上の曲輪の先は堀切が穿たれ、その先に鞍部を削平した広い曲輪が築かれている。この曲輪は兵の駐屯が可能なレベルである。その先は細尾根となるが、屈曲した虎口や岩場を削って作った城道が残っている。山上部の主郭部は周囲を自然の斜面で断絶した独立区画で、前述の城道のある尾根との間に大堀切を穿ち、その手前に物見台を置いて防御している。山上部は段状に構築された3つの曲輪と、付随する段曲輪から成るが、比較的小規模で物見的な城であったことを伺わせる。この地域の拠点城郭である造海城から2.3km程しか離れておらず、造海城攻撃の為に築いた付城の一つだったかもしれない。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.190280/139.857459/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世山城
2014-05-25 02:00
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