笠神城(千葉県印西市) [古城めぐり(千葉)]
←見応えのある空堀
笠神城は、歴史不詳の城である。城址の一郭にある南陽院には千葉氏の一族原豊前守の位牌があることから、原豊前守が城主であったと推測されている。小林城の東南東わずか1kmの位置にあり、平野(かつての低湿地帯)を挟んで対峙する位置に築かれていることから、両城が強い関連の下に築かれていたことが伺える。
笠神城は、将監川の氾濫原にある比高15~20m程の独立小丘に築かれている。前述の通り城内の主殿が置かれていたと思われる平場には、南陽院が建てられている。寺の背後には、主郭とされる高台の平場があるが、南陽院が立入禁止にしている為、遺構を確認することができない。一方、南陽院南のお堂のある高台は物見台だったらしく、土塁が残る他、背後には深さ5m程の空堀が円弧状に廻らされている。その南側の竹林の中も外郭で、曲輪群が築かれているが、例によって倒竹等で見通しがきかず、途中で引き返した。結局、空堀だけが唯一の見所の城の様である。未整備未開放なのは残念である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.819728/140.206894/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
笠神城は、歴史不詳の城である。城址の一郭にある南陽院には千葉氏の一族原豊前守の位牌があることから、原豊前守が城主であったと推測されている。小林城の東南東わずか1kmの位置にあり、平野(かつての低湿地帯)を挟んで対峙する位置に築かれていることから、両城が強い関連の下に築かれていたことが伺える。
笠神城は、将監川の氾濫原にある比高15~20m程の独立小丘に築かれている。前述の通り城内の主殿が置かれていたと思われる平場には、南陽院が建てられている。寺の背後には、主郭とされる高台の平場があるが、南陽院が立入禁止にしている為、遺構を確認することができない。一方、南陽院南のお堂のある高台は物見台だったらしく、土塁が残る他、背後には深さ5m程の空堀が円弧状に廻らされている。その南側の竹林の中も外郭で、曲輪群が築かれているが、例によって倒竹等で見通しがきかず、途中で引き返した。結局、空堀だけが唯一の見所の城の様である。未整備未開放なのは残念である。
外郭の腰曲輪切岸→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.819728/140.206894/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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