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葛ヶ崎城(千葉県鴨川市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_1393.JPG←主郭と背後の切岸・物見台
 葛ヶ崎城は、安房の戦国大名里見氏の支城である。この城が歴史上に姿を現すのは、1580年の正木憲時の乱の時である。その経緯は、興津城の項に記載する。里見義頼に対して叛乱を起こした憲時は、興津城を攻略し、葛ヶ崎城を取り囲んだ。この時、城代の角田丹後守一明は岡本城にあって不在で、代わりに病床にあった弟丹波守一元が城兵100名を率いて奮戦、討死した。時に20歳であったと言う。その後、義頼は反撃を開始し、葛ヶ崎城も間もなく奪還された。その後の城の歴史は不明である。

 葛ヶ崎城は、浜荻漁港の東に突き出た標高70m程の小丘に築かれた城である。地勢的に考えて、眼下の軍港を押さえた里見水軍の一拠点であったものと考えられる。『日本城郭大系』では、東西に分かれた二峰と中間の台地から成るとされるが、台地上は現在民家などの敷地に変貌していて遺構は明確ではなく、はっきり遺構が残っているのは西の峰だけとなる。中間の台地上に登る道を行くと、右手に駐車場があり、その奥に腰曲輪と思われる平場が薮の中に残っている。そこから斜面を直登すると、上の方の中段に広い主郭があり、その背後は垂直切岸となっている。その上にも腰曲輪があり、頂部は物見台の小郭がそびえ、祠が多数祀られている。その西側斜面にも腰曲輪群が築かれている。遺構から見る限り、中間か北麓の台地にあったと推測されている居館に対する単なる詰城的な小城砦であったと思われ、技巧性はないが削平は明瞭である。
山頂の物見台→IMG_1406.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.119275/140.149408/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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