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善得寺跡(静岡県富士市) [その他の史跡巡り]

IMG_9050.JPG←善得寺跡の石碑
 善得寺は、戦国史上に名高い、甲相駿三国同盟が締結された寺である。1363年に下野国那須雲巖寺の大勲策禅師が開山した寺で、戦国期には駿河東部第一の寺となり、善得寺城も併設されたと言われる。天文年間(1532~55年)、駿河の今川義元、甲斐の武田信玄、相模の北条氏康の間で駿河東部を中心とした抗争が繰り広げられたが、上洛を目指して西に進出したい義元、北信を巡って越後上杉氏との抗争を行う信玄、関八州制圧を目指して東と北に勢力を伸ばしたい氏康の、3者の思惑が一致し、今川義元の軍師で善得寺の住持でもあった太原雪斎の仲介により、1554年、甲相駿三国同盟が締結された。この時、善得寺で今川・北条・武田の3大名の会盟があったといわれ、「善得寺の会盟」とも称されるが、3大名の当主が一堂に会して、と言うのは史実としては疑わしいとされている。後に武田氏が同盟を破棄して駿河に侵攻すると、善得寺は尽く兵火により焼失した。

 善得寺の場所には、いくつかの説がある様だが、一つは善得寺城址とされる場所、もう一つは現在の善得寺公園付近である。この公園内には、歴代住持の墓の中に太原雪斎の墓も残っている。現在では小さな公園に過ぎず、場所の比定もされていないものの、戦国史に名高い場所として一度は訪れておきたい場所である。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.168872/138.696165/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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