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御茶屋御殿(千葉県千葉市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_9843.JPG←南門の土橋と空堀
 御茶屋御殿は、東金への鷹狩の為に、徳川家康の命によって土井利勝が造営した休息所である。1513年12月、家康は翌月14年正月の鷹狩を東金とする計画を決め、土井利勝を呼び寄せて、街道整備を命じた。利勝は、直ちに東金新道(御成街道)の普請に着手し、近郷90ヶ村の農民を動員して10日ほどで完成させたと言う。御茶屋御殿も同じ頃に造営されたと考えられており、同様な御殿は、御成街道の起点である船橋に船橋御殿、お狩場である東金に東金御殿が築かれた。徳川将軍の東金鷹狩は、家康2回、秀忠9回、家光1回が行われたが、その後は鷹狩は行われず、4代家綱の寛文年間(1661~72年)には東金御殿が取り壊されており、同じ頃に御茶屋御殿も配されたと思われる。

 御茶屋御殿は、現在市の史跡に指定されて整備されており、夏でも遺構がよく確認できる。高さ3m程の土塁と深さ2m程の空堀で囲繞された方形館で、その規模は大豪族の居館レベルで、さすが将軍様の御殿である。南北2ヶ所に虎口があり、わずかに枡形の土塁跡が微高地となって残っている。虎口の外には土橋が掛かり、将軍の命を狙う刺客などの万一に備えた厳重な警備をしていたことが伺われる。尚、南北の虎口にあった門は、金光院と宝泉寺という2つの寺に移築されているが、いずれも非常に簡素な形態の四脚門である。将軍の休息所といえど、質素な作りであったことが伺われ、冬場の農閑期の普請と狩猟など、民情視察だけでなく、民間にお金を落とす公共工事的色彩の強い催事であった様だ。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.615891/140.215370/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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