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小栗城(茨城県筑西市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_4297.JPG←横矢の掛かる横堀
 小栗城は、常陸大掾氏の庶流小栗氏の居城である。大掾氏は常陸平氏の宗家で、大掾重幹の子重義が小栗郷に入部して小栗氏を称し、小栗城を築いたとされる。小栗氏は、その後源頼朝に従って軍功を挙げ、鎌倉幕府の御家人となり、1333年の元弘の乱では新田義貞に従って鎌倉攻めに参陣し、後には足利尊氏の北朝方に付いた。1422年、小栗満重は子の助重と共に鎌倉公方足利持氏に反旗を翻して小栗城で挙兵し、公方勢に小栗城を攻め落とされて三河に逃れた。その後、永享の乱で持氏が滅び、1440年にその遺児春王丸・安王丸を擁立した結城氏朝が結城城で挙兵すると、助重はその間隙を縫って小栗城を奪還した。享徳の乱の時には、関東管領山内上杉氏方の城となったため、鎌倉公方足利成氏の軍勢に攻め落とされた。戦国時代には、その時時の勢力圏の変遷によって小田氏や結城氏の支城となって存続したが、関ヶ原合戦後に結城氏が越前に移封となると、その頃に廃城になったと推測されている。

 小栗城は、小貝川東岸に突き出た丘陵上に築かれた城である。城の入口には解説板や立派な城址碑が建ち、城内もかなり整備がされていて、一部を除いて遺構がよく確認できる。枡形虎口と横堀を多用した技巧的な城で、主郭外周を横堀で囲み、三ノ郭等を挟みつつ更に東側に2つの横堀を穿ち、城域最東端に丘陵基部を分断する城内通路兼用の外堀を穿って防御を固めている。前述の2つの横堀は、途中でクランクさせて横矢掛かりを設け、そこに櫓台を築いて防衛陣地としている。2本のうちの外側の横堀からこの横矢部を登ると、枡形虎口があり、更に内堀に掛かった土橋を渡って城の中枢部に進入する様に構成されている。一方、主郭から南へは広い緩斜面の曲輪(三ノ郭・四ノ郭)が広がり、四ノ郭の南端にも屈曲した虎口が築かれている。この虎口の下で城内通路は竪堀状に下の平場(現在は民家)に降る道と、東側に内堀の中へ導かれる城道とに分岐している。内堀内には段差があり、木戸口なども築かれていた様だ。この他、主郭西側のニノ郭から南に、やはり竪堀状に城道が下っており、その先も枡形虎口が形成されている。主郭には北側に大きな土壇があり、天守かそれに近い規模の櫓が建っていた様だ。大規模な城ではないが、境目の軍事拠点としてまとまった兵が駐屯できる広さを持ち、戦国後期の城の技巧性がよく分かる城である。
枡形虎口→IMG_4324.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.374442/140.017287/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世平山城
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イラブ

こんにちは、整備されたのですね!
以前 縄張り図を見て面白そうだったので行ったのですが、藪が酷くよく解りませんでした、情報ありがとうございます、今シーズン中に行ってみます。
茨城では昨年 林外城に行きましたが、綺麗に整備されていました!塙城なんかもみやすくなると良いのですが・・・
by イラブ (2015-01-19 18:02) 

アテンザ23Z

>イラブさん
ま~、茨城も千葉に劣らずバンブー地獄ですからね。藪がひどいと骨が折れます。その点、小栗城はラッキーでした。歴史ブームで整備される城が増えてきたのは、嬉しい事ですね!
by アテンザ23Z (2015-01-19 19:34) 

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