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塙城(茨城県阿見町) [古城めぐり(茨城)]

IMG_0971.JPG←主郭西辺の湾曲する空堀と櫓台
 塙城は、歴史不詳の城である。伝承では、土豪の舘野氏の城と言われており、戦国期にはその勢力圏と位置関係から江戸崎城主土岐氏の支城であったと推測されている。

 塙城は、清明川西岸の丘陵上に築かれた城である。中央谷戸部の集落を挟んで、南東の「たて」の地名の残る丘陵に本城を構え、集落の北西丘陵部に北城を築いた構造となっている。本城は比較的小規模な城砦で、主郭とニノ郭から構成されている。主郭と二ノ郭は低土塁と段差で仕切られているだけだが、各曲輪の周囲は横堀や帯曲輪が廻らされ、張り出した隅櫓台から巧みに横矢が掛けられている。特に主郭の南西部は方形に張り出しており、西辺部は内側に湾曲して両角から相横矢がしっかり掛けられている。
 一方、この城を極めて特異なものにしているのが北城で、一般的な城郭の形態ではなく、屈曲しつつ並走する二重の堀で構築された防塁的な構造となっている。北城では、本城以上に横矢掛かりが徹底され、W字状に屈曲した空堀に対して、櫓台から効果的な迎撃ができるよう考え抜かれた構造となっている。二重横堀の西端は直角に曲がって竪堀となって集落側に落ちている。また東端には土橋が架かり、防塁上の曲輪への進入路が構築されている。構造的には谷戸の集落(根古屋か)を北西側の攻撃から防ぐ為に構築されており、戦国末期に佐竹勢の北条方勢力への侵攻に備えて整備されたか、小田原の役前夜に上方勢来襲に備えて築かれたか、いずれかであろう。
 この城は『軍事分析 戦国の城』(学研)という本に紹介されているが、実際に遺構を見ると、防衛構想が明確かつ効果的で、軍事分析本の格好の材料になるのがよく分かる。塙城は、遺構はそれほど大規模なものではないが、特異な縄張りによって独自の存在感を示す城である。但し、藪が多いのがやや難。殊に北城は例によってバンブー地獄である。
屈曲する北城の空堀→IMG_1045.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.007624,140.261496&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:中世平山城
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イラブ

お邪魔します、楽しく拝見しています!関東では ここと真里谷要害城 整備していただきたいでずね~ 美しいでしょうね!
5月に山形遠征を計画しています、いろいろ参考にさせていただいています。
by イラブ (2015-04-24 07:32) 

アテンザ23Z

>イラブさん
ホントですね~。バンブー地獄は困りもんです。
山形へお出かけですか。GW中なら遅咲きの桜がまだきれいに咲いていると思うので、花見しながらの楽しい城巡りになると思います。お気をつけていってらっしゃいませ。
by アテンザ23Z (2015-04-24 20:13) 

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