岡見城(茨城県牛久市) [古城めぐり(茨城)]
←「本殿」の方形郭の土塁
岡見城は、常陸の名門小田氏の庶流岡見氏の初期の居城とされている。岡見氏の事績については牛久城の項に記載する。
岡見城は、謎の多い城館群で構成され、「本殿」と呼ばれる台地上の方形居館を西端部に置き、谷戸を挟んでその東側の台地上に、同じく方形居館の「西殿」、更に東の台地沿いに八幡山・南殿と続いていた様である。本殿は、GoogleMap等にも「岡見城城址」と記載されており、城址入口付近に岡見氏旧臣の末裔の方達が建てた石碑と供養塔が建っている。石碑裏には「岡見越前守中将頼明公 天正16年3月3日卒」と刻まれているが、岡見頼明と言う人物についてはネット上で調べても皆目わからない。この石碑の背後に方形の土塁と空堀が残っている。規模は決して大きくはないが、遺構は明瞭である。『図説 茨城の城郭』やGoogleMapによれば、西殿は民家裏の畑に変貌しているらしく、本殿同様に土塁と空堀が概ね残っているらしい(私有地なので、見学には許可が必要)。その他の遺構については、「八幡山」は遺構かどうか不分明ということでパスし、「南殿」先端にあるという物見台は、北西から延びる道が途中で薮に閉ざされて完全消失したため、大した遺構でもなさそうだったのでこれも訪城断念した。台地先端近くに築かれた、丘陵上の方形居館がそのまま残った例として、貴重である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.974759,140.173005&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
岡見城は、常陸の名門小田氏の庶流岡見氏の初期の居城とされている。岡見氏の事績については牛久城の項に記載する。
岡見城は、謎の多い城館群で構成され、「本殿」と呼ばれる台地上の方形居館を西端部に置き、谷戸を挟んでその東側の台地上に、同じく方形居館の「西殿」、更に東の台地沿いに八幡山・南殿と続いていた様である。本殿は、GoogleMap等にも「岡見城城址」と記載されており、城址入口付近に岡見氏旧臣の末裔の方達が建てた石碑と供養塔が建っている。石碑裏には「岡見越前守中将頼明公 天正16年3月3日卒」と刻まれているが、岡見頼明と言う人物についてはネット上で調べても皆目わからない。この石碑の背後に方形の土塁と空堀が残っている。規模は決して大きくはないが、遺構は明瞭である。『図説 茨城の城郭』やGoogleMapによれば、西殿は民家裏の畑に変貌しているらしく、本殿同様に土塁と空堀が概ね残っているらしい(私有地なので、見学には許可が必要)。その他の遺構については、「八幡山」は遺構かどうか不分明ということでパスし、「南殿」先端にあるという物見台は、北西から延びる道が途中で薮に閉ざされて完全消失したため、大した遺構でもなさそうだったのでこれも訪城断念した。台地先端近くに築かれた、丘陵上の方形居館がそのまま残った例として、貴重である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.974759,140.173005&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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