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西城(埼玉県熊谷市) [古城めぐり(埼玉)]

IMG_7233.JPG←西城の現況
 西城は、長井城とも呼ばれ、成田氏の祖となった成田助高の初期の居館とされる。この福川南岸の地は長井庄の要衝で、平安初期には左近衛少将藤原義孝の所領となり、その5代の裔、幡羅太郎道宗が館を構え、その子成田式部大輔助高が本城として西城を築いたとされる(但し、成田氏は武蔵七党横山党の一流との説もある)。この時、東には東城が出砦として築かれた。その後、1062年に前九年の役で源頼義・義家父子に従い軍功を挙げた越前斎藤実遠が、源家所領の長井庄の庄司となってこの地に入部すると、助高は太田庄成田郷に館を移したと言う。以後斎藤氏の領するところとなったが、実遠の子実直は越前河合の同族から実盛を養子として迎え、実盛は首邑の地利を考慮して、館を西野郷に移したと伝えられている。実盛は、源平争乱の際に加賀篠原での戦いで木曽義仲と戦って壮絶な討死を遂げた。

 西城は、東城より南南西750mの位置にあり、一面の耕地の只中に立派な石碑が建てられている。明確な遺構は見られないが、石碑が建っているのは微高地で、これが城館の痕跡であろうか。日本城郭大系では水堀の一部が残存しているとされるが、その後の改変で失われたようである。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.195421,139.394896&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:居館
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