伽羅御所(岩手県平泉町) [古城めぐり(岩手)]
←御所跡付近の現況
伽羅御所は、奥州藤原氏3代秀衡の居館である。秀衡は、北方の王者として奥六郡に君臨し、清衡以来3代の居館であった柳之御所を大改修して政庁と為し、新たな居館として伽羅御所を築いたと言われている。秀衡の死後は、その後を継いだ4代泰衡に受け継がれたが、1189年に源頼朝によって平泉は攻め滅ぼされ、その繁栄は永遠に消え失せた。
伽羅御所は、鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』によれば、無量光院の東門に一郭を構えていたとされる。現在は宅地に変貌し、往時の面影は見る影もない。現地解説板には「わずかに内濠の跡や土塁の一角をとどめる」とあるが、どれが遺構だかはっきり言って全くわからない。あったとしても民家の敷地内で、見ることは困難であろう。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.990687,141.118269&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
伽羅御所は、奥州藤原氏3代秀衡の居館である。秀衡は、北方の王者として奥六郡に君臨し、清衡以来3代の居館であった柳之御所を大改修して政庁と為し、新たな居館として伽羅御所を築いたと言われている。秀衡の死後は、その後を継いだ4代泰衡に受け継がれたが、1189年に源頼朝によって平泉は攻め滅ぼされ、その繁栄は永遠に消え失せた。
伽羅御所は、鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』によれば、無量光院の東門に一郭を構えていたとされる。現在は宅地に変貌し、往時の面影は見る影もない。現地解説板には「わずかに内濠の跡や土塁の一角をとどめる」とあるが、どれが遺構だかはっきり言って全くわからない。あったとしても民家の敷地内で、見ることは困難であろう。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.990687,141.118269&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:居館
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