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山王山砦(茨城県五霞町) [古城めぐり(茨城)]

DSC06299.JPG←境内の堀と土塁
(2007年6月訪城)
 山王山砦は、関宿城攻防戦の際に小田原北条氏が築いた陣城である。関宿城には、古河公方の重臣簗田晴助が北条氏の擁立した足利義氏を古河公方と認めず、頑として居座っていたが、着々と関東の経略を進める北条氏康は、1568年、次男の滝山城主北条氏照を総大将に関宿城攻撃を開始した(第二次関宿合戦)。氏照はまず、野田氏の栗橋城を接収し、ここを拠点に山王山砦、不動山砦などを築いて関宿城を大軍で攻囲し、落城寸前まで追い詰めた。しかし同年12月、武田信玄が突如甲相駿三国同盟を破棄して今川氏の駿河に侵攻した。北条氏康は直ちに今川氏救援に駿河に出兵する一方、武田氏に対抗する為、これまで対立していた上杉謙信との同盟交渉を行い、翌年の相越同盟成立の過程で関宿城攻撃は中止され、山王山砦も破却された。しかし僅か2年後の1571年、北条氏康の死と共に、目立った効果の上がらなかった相越同盟を北条方が破棄して甲相同盟が復活すると、1574年に北条氏政は三度、関宿城攻略に取り掛かった(第三次関宿合戦)。この時、山王山砦が再興されて使用されたと考えられている。佐竹氏の仲介で関宿城が開城し、城主簗田晴助は水海城に移され、北条氏が関宿城の攻略を遂げると、山王山砦はその役目を終えた。

 山王山砦は、現在の東昌寺にあったと推測されている。寺の境内には堀と土塁が部分的に残っている。9年前の訪城なのと、印象が薄かったことであまり覚えていないが、それほど大きな規模ではなかったと思う。小規模ながらも付け城として機能したことが伺われる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.106347,139.764805&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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