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若林城(宮城県仙台市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_2239.JPG←北西角の横矢張出しの土塁
 若林城は、貞山公伊達政宗の隠居城である。この地には元々、この地を領した国分氏の城があったと言われ、城の北側では戦国時代の屋敷跡などが発掘されていることから、戦国時代の頃から政治的・経済的拠点の一つであったと推測されている。政宗は、1627年2月に幕府の許可を受けて築城を開始し、翌年11月に普請が成ったばかりの若林城に移った。若林城の周囲には一門以下の家中が屋敷を連ね、町屋敷も置かれて仙台城とは別個の城下町を形成した。晩年の政宗は1年の大半を若林城で過ごし、1636年に政宗が江戸藩邸で病没すると、若林城は政宗の遺命の通りに掘一重を残して廃され、1639年には忠宗の命で若林城内の屋形が仙台城二ノ丸に移された。明治12年に宮城集治監が建設され、現在の宮城刑務所に至っている。

 若林城は、奥州随一の大大名が築いた近世の平城らしく、大きな堀と土塁で外周を囲まれ、南東を除く3つの角部と南面中央には横矢の張出しが構えられ、隠居城とは言うものの有事の際の陣所となるべく臨戦的な構えとなっている。前述の通り現在は刑務所となっており、周囲にも刑務所関連施設が建てられている為、あまり遺構に近づくことができない。(上の写真の駐車場も刑務官の駐車場で、立入禁止!)僅かに外周の一部で堀脇に近づける箇所があり、そこから大きな堀と土塁を遠目に眺めることができるだけである。当然堀底には入れず、土塁になど登ろうものなら逮捕されることは間違いない。NHKのブラタモリで紹介された時には、枡型の大土塁と、政宗が朝鮮出兵の際に持ち帰った「臥龍梅」が映されていたが、これも一般人は目にすることはできない。刑務所となったおかげで遺構は守られたが、一方でキャッスラーにとっては城内への入場はおろか、遺構を間近で見ることもできず消化不良になる城で、胸中は複雑である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.236798,140.902233&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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