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小舟城(茨城県常陸大宮市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_6843.JPG←二重堀切から落ちる竪堀
 小舟城は、歴史不詳の城である。伝承では、高沢城主高沢伊賀守氏信が居館を築いていたとも言われ、後には小瀬城主小瀬氏の重臣内田氏が城主となったともされる。確かなことは不明であるが、檜沢城の項でも触れた大縄久照文書に記載された番衆の地名の中に「小舟」の名があることから、戦国期には、佐竹領西方の軍事拠点の一つであったと推測されている。

 小舟城は、標高240m、比高120mの山稜上に築かれた城である。基本的には細尾根城郭の類で、あまり兵は置けない規模の城である。南西の谷戸から登って行くと左手の尾根上に道があり、ここから小舟城の南尾根途中の虎口に至る。この虎口から南には、明確な切岸を築いた小郭があり、南の出曲輪となっている。逆に北に登って行くと南郭に至る。ここから尾根が2方向に分岐しており、一つが今登ってきた南尾根で、もう一つの南東尾根はほとんど自然地形であるがやや平らな尾根となっており、曲輪として機能したと思われる。前述の南郭から2つの小堀切と小郭を越えると主郭となる。主郭は南面に腰曲輪を伴い、背後に土塁を築いている。土塁の後ろに堀切、更に繋ぎの曲輪を経て堀切、その先にニノ郭がある。二ノ郭はやや削平が甘いが2段ほどに分かれている。ニノ郭の背後に、この城で最も見事な遺構である二重堀切が穿たれている。ニノ郭の北東斜面に小郭があり、二重堀切を迂回した武者走りが通じていることから、小規模な枡形虎口になっていたらしい。前述の繋ぎの曲輪の側方にも武者走りが通っており、堀切から落ちる竪堀を越えて主郭西側斜面に築かれた西曲輪群に繋がっている。西曲輪群は段曲輪群から成り、最下段を含めて3ヶ所に小型の横堀(塹壕)が穿たれて防御性を高めている。以上が遺構の概要で、最初に記した通り、あまり兵を置けない詰城の類で、小舟城の西にある「宿」地区に軍団の本拠があったものであろうか。今後の考究が望まれる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.625654/140.291419/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
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