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上入野城(茨城県城里町) [古城めぐり(茨城)]

IMG_7419.JPG←主郭北西の堀切
 上入野城は、歴史不詳の城である。大掾氏、江戸氏、佐竹氏など、築城主体の候補はいくつかあげられるようだが、明確にはできない様だ。ちなみに山への登り口にある小松寺には府中城主大掾義幹が1191年に寄進したとされる唐門があることから、鎌倉時代にはこの地域が大掾氏の支配下にあったのは確実らしい。ちなみに小松寺には、平清盛の嫡長子重盛(小松内大臣と称される)の遺骨が平家滅亡の際に関東の同族常陸大掾義幹を頼ってもたらされ、この地に埋葬されたと伝えられ、大掾氏のこの地への関わりを今に伝えている。

 上入野城は、藤井川ダムの北側にそびえる標高145m、比高100m程の白雲山に築かれている。遺構は明瞭で、不整多角形の主郭を中心に、三方に伸びる尾根を堀切で分断して曲輪を配し、更に主郭の北に伸びる細尾根に出城を築いた縄張りとなっている。主郭の内部は2段に分かれ、北西辺と東辺の堀切沿いに土塁を築いている。北西尾根には前後を堀切で分断された曲輪があり、その先は白雲山展望台の広場になっている。主郭南側には虎口が開き、堀切を介して南尾根の曲輪群が段々に連なっている。主郭東側も堀切を介して曲輪があるが、その先は傾斜のややきつい尾根に沿って小郭が連なっている。この他、主郭の北側下方は腰曲輪に土塁が築かれて横堀状となり、北尾根に対する防衛線となっている。北尾根にやや離れて出城があり、曲輪群と小堀切数ヶ所が認められる。遺構は良好に残っているが、縄張りとしては比較的平易で横矢掛かりもなく、戦国前期頃までの構築と思われる。

お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.437597/140.360577/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
タグ:中世山城
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