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竜ヶ谷城(茨城県常陸大宮市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_3828.JPG←腰曲輪前面の竪堀群
 竜ヶ谷城は、山方城を築いた山方能登守盛利が隠居城として築いたと言われている。盛利は関東管領上杉氏の一族で、その事績は山方城の項に記載する。文明年間(1469~86年)に山方城を佐竹氏の有力支族、東政義に明渡し、竜ヶ谷城に移ったとされている。

 竜ヶ谷城は、比高50m程の丘陵先端に築かれている。周囲を枇杷川とその支流に挟まれた山間地の奥に位置し、場所は非常にわかりにくい。城への道もないので、取り付きやすい斜面から適当に藪漕ぎしながら直登する他はない。大きく2つの曲輪と腰曲輪から構成された城で、主郭は背後(北側)に横堀を穿ち、また二ノ郭と接する西から南にかけても横堀で分断している。背後の横堀は比較的規模が大きく、横矢掛かりが2ヶ所にあり、二ノ郭西側外周まで掘り切っている。それに対して二ノ郭との間の堀は規模が小さいが、2ヶ所に土橋が架けられている。この城の特徴は、二ノ郭手前の腰曲輪前面に穿たれた竪堀群で、小規模で短いものが多いが、下段の帯曲輪までしっかり穿たれている。一部は城道を兼ねていたようだ。腰曲輪の西側に比較的大きな竪堀が1本あり、ちょうどその側方に小さな竪堀群が並んだ形になっている。またこの大きな竪堀は大手道であったと思われ、竪堀西側の腰曲輪への登り道となっている他、二ノ郭と竪堀東側の腰曲輪の間に穿たれた横堀と合流しており、虎口を兼ねた横堀だったようである。この他、主郭背後の尾根も曲輪と想定されているが、見た限りではあまりきちんとは削平されていない。また城の南東にも細尾根が続いているが、小さな堀切が穿たれ、幾つかの小郭らしい平場があるので、先端の物見台的な曲輪があったようだ。全体に藪が多いが、一応遺構は一通り見て回れるレベルである。また特徴的な竪堀群は規模が小さく、どれほどの防御性を発揮したかは微妙なところである。
二ノ郭外周の横堀→IMG_3943.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.622933/140.383837/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
タグ:中世山城
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