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高野城(茨城県守谷市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_9037.JPG←公園内に残る土塁状地形
 高野城は、今城(いまんじょ)とも呼ばれ、歴史不詳の城である。伝説では、938年に平将門は高野に興世王の分城を築き、「今城」(今造られた城という意味)と名付けたとされるが定かではない。一方、城の形態が極めて素朴なものであることから、戦国期以前の城と推測されている。この守谷地区では、南北朝期の1340年に守谷城主相馬忠重が南朝方に付き、城を築いて春日顕国を迎えたという記録があることから、その時の城が高野城ではないかとも考えられている様だ。

 高野城は、比高15m程の半島状台地の先端に築かれている。現在は台地自体の形状が大幅に改変・拡張され、一面が住宅団地に改変されてしまっており、往時の姿はほとんど失われてしまっている。住宅地内にある「うららか公園」が唯一の城の名残で、土塁と思われる地形が残っている。公園内は2段の平場に分かれているが、下段の平場はどうも採土で失われた跡らしい。住宅地の高さも採土で削られた後の高さであるらしく、公園よりも数m程低い。というのも、公園の北側は以前は谷戸になっていたが、1970年代に住宅地造成のために谷戸を埋めてしまっているのである。おそらく谷戸を埋める土を確保するため、城のあった元の台地を大々的に削ったのではないかと推測される。破壊される以前に城址を調査した結果の図によれば、台地のくびれが3ヶ所あり、そこを堀切で分断していたらしい。台地続きに当たる主郭の北東部にだけ土塁が築かれ、公園内に見られるのはその名残の様である。いずれにしても様々な伝説に彩られた謎の多い城である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.931438/139.992149/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
タグ:中世崖端城
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