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花楯城・大楯城・小館丸館(宮城県大郷町) [古城めぐり(宮城)]

IMG_1709.JPG←大楯城中間の堀切
 花楯城・大楯城・小館丸館は、3つの城が連郭式に配置された複合城郭である。この付近には、築館城・館越城や石原城館群など複数の城館で構成された城が多い。花楯城・大楯城・小館丸館は、天文年間(1532~55年)の頃に葛西氏一族の金沢長門守が城主であったと言われ、大崎氏・黒川氏に対する備えとして築かれたと言う。その他の事績は不明であるが、1590年の奥州仕置で葛西氏が没落すると、廃城になったのだろう。

 花楯城・大楯城・小館丸館は、吉田川南岸の比高30m程の丘陵先端に築かれている。北から順に花楯城・大楯城・小館丸館と並び、大楯城が本丸に当たり、それぞれの城の間は堀切で分断されている。普通に考えれば3つをまとめて一つの城として扱うべきだと思うのだが、なぜそれぞれに別の城の名が付いているのかはよくわからない。また花楯城の「花」は「端」の転訛であろう。即ち「突端の城」の意味である。2つの堀切には現在車道が通っており、改変を受けている。またそれぞれの城も、ほとんどの曲輪は畑になっているため、多少の改変を受けている可能性がある。いずれの城も堀切跡の車道脇に標柱が立っているが、花楯城の標柱が立っているところから登ったところにある頂部の大きな曲輪は、「宮城県遺跡地図」によれば花楯城ではなく、大楯城の曲輪であるらしく、それを正とすれば大楯城の主郭に当たるのだろう。即ち大楯城は車道となった堀切で南北に主郭・二ノ郭を並立させた一城別郭であったらしい。大楯城の主郭の急峻な切岸の下にある北側の曲輪群が花楯城の様である。遺構としては曲輪群や一部に土塁らしいものも民家裏に見られるが、改変された可能性もある。民家裏の畑地であるので、立ち入りには注意を要することもあって、少々消化不良気味になる城である。
大楯城の主郭→IMG_1721.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.437674/141.032073/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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